五所川原市(歴史)概要: 五所川原市北部の市浦地区は鎌倉時代に入りと蝦夷管領となった安東氏が台頭するようになり寛喜元年(1229)、当時の当主安東貞季が十三氏を滅ぼし津軽地方に大きな影響力を持つようになります。
安東氏は特に水海軍に優れた豪族とされ十三湖の湖畔に設けられた十三湊を中心に貿易を行い日本海沿岸のみならず、北海道や樺太、朝鮮、中国などにも交易し博多港にも匹敵する都市として日本三津七湊の1つに数えられました。
安東氏が嘉吉3年(1443)に南部政盛の抗争に破れると五所川原市を含む北津軽一帯は南部氏の支配となり、さらに戦国時代末期に大浦為信によって津軽地方が統一されます。江戸時代にはいると大浦氏は津軽氏を名乗り弘前藩(藩庁:弘前城)を立藩、五所川原市も弘前藩に属します。
当時の五所川原市周辺は岩木川の氾濫もあり荒地が多かった地域でしたが江戸時代に入り新田開発が積極的に行われるようになりました。明治時代に入り鉄道が敷かれ、岩木川の改修工事が進むと周辺地域の中心として飛躍的に発展し佐々木嘉太郎(布嘉屋)などの豪農、豪商を輩出ししました。その後も鉄道やバス路線が整備され北・西津軽郡の商業、交通の中心となっています。
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