山王坊遺跡(十三湖)概要: 山王坊遺跡は青森県五所川原市相内に位置する安東氏縁の中世社寺の跡地です。案内板によると「 十三湖北岸、相内集落の北東に位置する。日吉神社が鎮座するこの周辺一帯は古来から霊地・聖域として村民に畏怖されてきました。昭和57年の発掘調査で神社仏閣の礎石跡や十三湊の繁栄と同じくする室町期の遺物が出土しており、安藤(東)氏が勧請した神仏習合の宗教施設と考えられています。 」とあります。
名称から中世の当地域の領主である安東氏が日吉大社(滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請したと思われます。安東氏は十三湊を本拠として日本海の廻船により大きく利益を得た大名で、自らを奥州十三湊日之本将軍と称し、遠く羽賀寺(福井県小浜市)の大檀那として本堂の再建を行うなど大きな影響力を持ち、日吉大社の分霊も日本海のルートを使い勧請したと思われます。
又、山王坊遺跡の周辺からは仏教色が強い五輪塔や宝篋印塔、板碑が発見され、古文書にでてくる「十三千坊」という名称、さらには当地が阿吽寺跡で南部氏に焼き討ちにあい全山焼失したとの伝承から当時は神仏習合していたと考えられます。
礎石の跡には本殿、舞殿、渡殿、仏堂風の拝殿、本地堂と神社と寺院が並存するような伽藍配置で神事は舞殿、仏事は仏堂風の拝殿で行われていたと推定され、宗教施設跡では鳥居の後方に基壇をもった仏教的色彩の強い中心的建物が配置され石階の上には神社の社殿と思われる建物が2棟並列されています。
寛政8年(1796)、江戸時代後期の紀行家で民俗学の祖とも云われる菅江真澄が安東氏の遺跡を訪ねる目的で山王坊遺跡も訪れており、由来や当時の様子などを記録しています。山王坊遺跡は明確な中世の社寺遺跡は全国的に見ても事例が少ない事から大変貴重な存在と言えます。
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