布嘉屋(五所川原市)概要: 「布嘉」とは、明治、大正、昭和に青森県一の豪商と呼ばれた佐々木嘉太郎の屋号です。17歳の時に既に豪商として名を馳せた佐々木喜太郎の家へ婿養子となり、その後分家して「布屋」の屋号を許され、何時しか「布屋嘉太郎」から「布嘉」と呼ばれるようになっています。呉服商から財を成し多くの田畑を所有する大地主となり東北屈指の大富豪になったとされます。
特に明治29年(1896)に建てられた居宅兼店舗は「布嘉御殿」と呼ばれ棟梁堀江佐吉(太宰治の生家である斜陽館や日本基督教団弘前教会教会堂、旧藤田別邸、佐瀧本店・佐瀧別邸などを手掛けています)、木造総2階建、入母屋、桟瓦葺、外壁は塗り屋造りで1階は煉瓦張り、2階は白漆喰で仕上げ、開口部は観音扉煙返付、屋根には洋風の望楼、塀は煉瓦造、12000uの敷地に建坪900坪の和洋折衷の建物が建てられました。
内部には金箔で仕上げられた金の間、銀の間など贅を究めたものばかりで皇族御巡幸の際も利用されました。「布嘉御殿」は五所川原市内の象徴的な存在でしたが昭和19年(1944)の大火で焼失し、現在は僅かに残った写真と近年復元された1/10で復元された模型に当時が偲ばれます。※写真は秋田県から移築した古民家で内部に1/10(間口8m、奥行2.5m、高さ2.5m)で復元された「布嘉御殿」の模型が展示されています。
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