川倉賽の河原(五所川原市)概要: 川倉賽の河原は青森県五所川原市金木町川倉七夕野境内を構えている天台宗の寺院です。案内板によると「 ここ川倉の賽野川原は慈覚大師の開創と伝えられる点は下北の恐山と同様であるが、天空からお燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が出土、これを安置したのがその始まりともいう。
文化、文政の頃から参詣人が増えたということから、およそ170年も前から民間信仰のメッカとして支えられ、例大祭(旧暦の6月22日より24日まで)には多くの参拝者で賑わう。特に鎌倉時代以前からいたとされる巫女(イタコ)の口寄せ(霊媒)も行われる場所となっている。」とあります。
上記の「天空からお燈明が降り」のお燈明をUFO(未確認飛行物体)だったという説があり、現在でも近隣にはUFO目撃情報があるようです。又、境内正面には神社の鳥居と寺院の仁王門が組み合わさった世にも不思議な山門が設けてあります。
川倉賽の河原は恐山と並ぶ津軽民間信仰、地蔵信仰の中心的な存在で慈覚大師円仁(平安時代の高僧、第3代天台座主、入唐八家)によって開かれたのが始まりとされます。境内は特殊な地形だった事から古くから神聖視されていたと思われます。
又、川倉賽の河原では一般的な賽の河原や地蔵信仰とは考え方が大きく異なります。賽の河原信仰とは親より早く亡くなった子供が親不孝をした罪で成仏出来ず、唯一三途の川の川原(賽の河原)で拾った小石を積み上げ供養塔が完成した時に成仏出来るのですが、完成が近づくと必ず鬼が供養塔を壊し決して完成する事が無いとされます。
そこで日頃から地蔵尊を信仰していると、賽の河原に地蔵尊が出現し成仏出来ない子供の霊を冥土の世界に導くとされます(本堂である地蔵尊堂の向拝の欄間には他では見た事の無い賽の河原を模した彫刻が施してあり異彩を放っています)。
川倉賽の河原ではその信仰とは別に「生」と「死」が曖昧で成仏するまでは川倉賽の河原で留まり霊魂も人間と同じように成長するといった考え方をしているようです。地蔵尊は子供の霊を冥土に導く存在というよりは、死んだ人の霊魂の憑代として考えられ、死者が出ると地蔵尊が奉納され、地蔵に対して洋服を着せたり、化粧をしたり、玩具やお菓子を与えたり、年頃になると異性の人形を与え死霊婚(冥婚)をするといった風習が現在でも続けられています。
川倉賽の河原地蔵尊は貴重な事から昭和57年(1982)に五所川原市指定史跡に指定されています。川倉賽の河原は下北半島の恐山と十和田湖の十和田神社と共に北東北三大霊場の1つに数えられています。境内にあるクロマツは推定樹齢500年、幹周3.5m金木町名木に指定されています。宗派:天台宗。本尊:地蔵菩薩。
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