恐山温泉(下北半島)概要: 恐山温泉(下北半島:むつ市)は古くから名湯として知られ、江戸時代後期に製作された温泉番付(諸国温泉功能鑑)では東之方前頭に格付けされていました(地方や製作年代によって異なり、恐山温泉が記載されていない番付も多い)。江戸時代の紀行家菅江真澄も5度恐山を訪れており、寛政4年(1792)10月30日から11月1日訪れた際は当時は恐山温泉ではなく、「山の湯」と呼ばれていた事や、大雪だったにも関わらず、温泉が湧き出る所は雪が解けている事、辺りが硫黄臭で臭い事、恐山は信仰の場であると同時に湯治場だった事、多くの地獄や名所などを「牧の冬枯れ」で記載しています。寛政5年(1793)5月25・26・27日に訪れた際には、温泉場は「ふる滝の湯」、「ひえの湯」、「めの湯」、「花染の湯」、「しんたきの湯」の5箇所あった事が、同年の6月2〜24日には長期間恐山に滞在した際には例祭である「地蔵会」にも参加し、当時の恐山や恐山温泉の詳細を細かく「奧の浦々」に記載しています。さらに寛政6年(1794)2月2・3日と3月23〜29日に恐山を訪れた事が「奥のてぶり」に記載され、当時も民俗学的にも興味深い土地だった事が窺えます。明治時代の作家幸田露伴も明治25年(1892)に恐山温泉を利用し、その時の様子や恐山の景観、「血の池」や「賽の河原」などの由来を紀行文「易心後語」で記載しています。「日本名勝地誌:明治30年:1897年、野崎左文著、後の名勝案内記や、紀行文などに大きな影響を与えた」の「東山道之部下」にも5ヶ所の浴場があった事が記載されています。
青森県にある下北半島に位置する恐山菩提寺(田名部海辺三十三観音霊場三十三番札所)の境内には古滝の湯(女性専用)、冷抜の湯(男性専用)、薬師の湯(時間によって男性用、女性用が交換)、花染め湯(男女混浴)の4つの温泉場があり総じて恐山温泉と呼ばれています。何れも木造平屋建、切妻、鉄板葺の小さな建物ですが情緒漂う湯治場の雰囲気が残され、檜造の湯船には白濁した温泉に満たされ湯底には湯花が薄っすらと溜っています。恐山は日本三大霊地(恐山・川原毛地獄・立山)、日本三大霊場(恐山・白山・立山)、日本三大霊山(比叡山・高野山・恐山)に数えられる程の霊場である共に、火山でもあり朝比奈岳、円山、大尽山等が外輪山を形成しカルデラからは水蒸気や火山性ガスも噴出し「噴火災害軽減のための噴火警報及び噴火予報」の対象にもなっています。現在は青森県を代表する観光地にもなっている為、休日にもなると参道には沢山の人が集まり多少躊躇してしまいますが、窓さえ開けなければ大丈夫なようです。周囲は硫黄の匂いがたちこめ荒涼とした地獄を思わせる風景が広がっています。
恐山温泉の泉質: 硫化水素含有酸性緑ばん泉・源泉70〜90℃
恐山温泉の効用: 神経痛、リウマチ、胃腸病、皮膚病
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