円通寺(恐山菩提寺本坊)概要: 吉祥山円通寺の創建は室町時代後期の大永2年(1522)、根城南部家の援助を得て聚覚和尚(曹洞宗の僧)に開かれたのが始まりとされます。
聚覚和尚は享禄3年(1530)に恐山菩提寺を再興すると円通寺は恐山菩提寺の本坊となっています。江戸時代初期の寛永4年(1627)に根城南部家が遠野に移封になると外護者を失い衰微しましたが、万治2年(1659)、盛岡藩主南部家が東昌寺6世に招き中興し東昌寺(茨城県猿島郡五霞町)の末寺となっています。
又、斗南藩の史跡としても知られ、幕末、新政府軍と対立した会津藩(福島県会津若松市)23万石は慶応4年(1868)の会津戦争へ突入し明治元年に降伏、会津藩は廃藩となりました。明治2年(1869)、旧家臣や親族などの嘆願により会津藩主松平容保の嫡男松平慶三郎(容大)の家督相続と陸奥国内3万石が認められます。
明治3年(1870)、旧南部藩領の五戸(五戸町)に入り五戸代官所が仮の藩庁となります。その後、正式に領地が決定し斗南藩が立藩、明治4年(1871)に円通寺に仮の斗南藩の藩庁と藩主の居館が設けられ、一時迎町大黒屋で開校した藩校日新館も円通寺に移されました。
境内には戊辰戦争三十三回忌の明治33年(1900)に招魂碑(旧斗南藩主松平容大の揮毫、碑文は南摩綱紀の撰)が建立されています。
寺宝である田名部海辺三十三番順禮札所標示板(1枚)が昭和47年(1972)にむつ市指定有形民俗文化財に指定されています。田名部海辺三十三観音霊場第1番札所(札所本尊:如意輪観音像)。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
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