旧大湊要港部会議所(北洋館)概要: 旧大湊要港部会議所は大正5年(1916)に当時の日本海軍士官の社交場(水交支社)として建てられた建物です(旧会議所は明治40年:1906年に建てられていましたが大正3年:1913年の火災により焼失)。
石造平屋建、切妻、鉄板葺、平入、外壁の石材は建物背後に控える恐山山地の最高峰である釜臥山(標高:878.6m)から産出された安山岩で不整型に形成された石を乱積しています。
建物中央には大きく前に張出した切妻のポーチがありレンガで模ったアーチが3方に空けられ、その他の開口部は縦長の上げ下げ窓で当時の洋風建築の要素を取り入れています。内部はポーチを境に左右対称で凝った意匠は少なく質実な印象を受けます。
昭和20年(1945)太平洋戦争が終結すると一時進駐軍に摂取されその施設として利用されましたが昭和28年(1953)に海上自衛隊大湊地方隊が発足されると大湊地方総監部や通信隊の庁舎として利用されました。
昭和56年(1981)以降は海上自衛隊展示資料館「北洋館」として建物の保存、見学や明治35年(1902)帝国海軍大湊水雷団開庁から現在の大湊地方隊までの北方海上防衛の歴史、資料の保存、展示が行われます。
現在は海軍室・海上自衛隊室・大湊地方隊室及び歴史室に3区分され約1千点余りの資料が一般公開されています。又、昭和54年(1979)には日本建築学会から大正・昭和期の名建築として選定されています。
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