五戸町: 浅水城

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概要・歴史・観光・見所
浅水城(五戸町)概要: 案内板によると「 浅水城跡は、戦国時代の永正年中南部二十二代政康の三男長義が築城したと伝えられている。長義の官名は「遠江守」で、五戸、浅水を知行し、禄高三千石であった。長義は寶福寺を開基し位牌や墓は同寺にあり、石碑は五輪塔である。長義の子孫南氏五代利康は寛永八年(1631年)二十四才の若さで没したので、その霊を慰めるために建てられたのが南部町三光庵霊廟である。浅水城は利康の死没によって廃城となり、百二十年間の支配が終わった。 林野庁・青森県 」とあります。浅水城は中世の山城で頂上部の本郭を中心に主要な郭は二之郭、三之郭とあり浅水川を天然の外堀と見立て、麓には城主の居館が設けられていました。南部長義は地名に因み浅水氏を称しましたが、南部家の本城だった三戸城では南側に屋敷を構えていた為に「南殿」と呼ばれ何時しか南氏を称するようになりました。永禄年間(1558〜1570)の南部家の内部抗争では宗家と対立した為、南部家24代当主南部晴政の侵攻を受けています。天正19年(1591)の「九戸政実の乱」では九戸政実に呼応した櫛引氏が浅水城を襲撃、さらに馬淵川の戦いで当時城主南盛義は討死しています。その後、南氏は宗家南部家の重臣として組み込まれますが寛永8年(1631)に南利康が死去した事で事実上断絶し(南氏の名跡は先々代南直義の嫡男南晴政が300石で継ぎましたが浅水領主の復権は成りませんでした。)浅水城も廃城になっています。現在は公園として整備され主郭と思われる平場には南長義が勧請したと伝わる八幡宮が建立されています。

浅水城:写真


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