十二湖(深浦町)概要: 十二湖は宝永元年(1704)津軽沖を震源としたマグニチュード7クラスの岩館地震(能代北方地震)により崩山(標高:939.9m)が崩壊し、その土砂により川が堰き止められ形成されたと推定される湖沼で、この地震では約70余名の死者や約2千戸の家屋が倒壊又は火災で焼失したとされ、地震の大きさが窺えます(その内能代では死者58名、倒壊435戸、焼失758戸)。十二湖と呼ばれていますが実際には大小33の湖沼が点在し崩山の中腹にある大崩展望所から眺めると12箇所の湖沼が確認出来るから「十二湖」と名付けられたとされます。
十二湖の周辺には、ブナやナラ、カツラ等の広葉樹を中心に数多くの動植物が存在する天然林として、学術的にも景観的にも貴重な事から昭和28年(1953)に青森県立自然公園(深浦・十二湖県立自然公園)に指定、昭和47年(19752)には自然休養林(津軽十二湖自然休養林)に指定されています。
昭和50年(1975)には「津軽国定公園」の湖沼部に含まれ、さらに平成5年(1993)には十二湖の背後に控える白神山地一帯が「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」との登録理由からユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録されています。
特に新緑と紅葉の時期が優れた景観が見られ駐車場や散策コースが整備されている事もあり数多くの観光客やハイカー達が訪れています。
十二湖と文人墨客: 十二湖には多くの文人墨客も訪れていて高知県出身で明治、大正時代の、近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家である大町桂月は「西海岸の風光は十二湖をもって第一とす」、「日暮し山(現在の日本キャニオン)の眺望、湖畔群の幽闇、紅葉の残照など十二湖は天下の奇観である。他日、必ず天下にその名を知られるであろう」と賞賛し「 山の中 三十三湖 紅葉かな 」と唄い、山道入り口鶏頭の池の畔には大町桂月の句碑が建立されています。
昭和28年(1953)には明治から昭和初期の近代日本の詩人・作家である佐藤春夫が訪れ「 虹の青 あつめて ここに 湖十二 」と唄っています。
十二湖の青池: 十二湖の代名詞とも言える"青池"は面積約975u、最大深度約9.0mほどの大きさで十二湖の中では中規模ですが湖面が透き通った群青色をしている事で神聖な雰囲気を醸し出しています。なぜ群青色をしているのかは科学的にも解っていないそうで、十二湖の中では青池以外に沸壺の池が若干の青みが見られます。又、近くにある湧壺池から湧き出る「長寿の水」は白神山地からの伏流水が湧壺池の湖底を経て湧き上がる名水として知られ昭和61年(1986)に水環境の保全状況が極めて優良である事から青森県知事による「私たちの名水」に認定され、平成20年(2008)には「沸壷池の清水」として環境省による平成の名水百選に選定されています。
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