深浦町(歴史)概要: 深浦町は古くから交易の盛んな地域だったとされ縄文時代の一本松遺跡では北海道南部から青森県にかけての土着的文化と宮城県に見られる外来的文化が融合した独特な遺物が発見されていて極めて重要な遺跡とされています。
斉明4年から6年(658〜660年)には阿倍比羅夫が東夷東征を行い浮代と津軽に郡領を定め、有間浜で渡島蝦夷と饗応したと日本書紀に記されていますが、この有間浜は現在の深浦町にある吾妻浜だと言われています。鎌倉時代に入ると十三湊を本拠とした蝦夷管領安東氏の勢力下に入り深浦湊も十三湊と共に安東水軍の一翼を担い元亨2年(1322)に起こった安東一族の内紛でも何らかの関係があったと思われます。
江戸時代に入ると弘前藩(藩庁:弘前城)に属し、深浦湊は北前船の寄港地又は風待ち湊として青森湊・十三湊・鰺ヶ沢湊と共に藩内4浦の1つとして重要視され町奉行所・湊番所・遠見番所・御蔵などの藩の施設が設けられ高台には藩主の御仮場が建てられ領内巡視の際は立ち寄ったと言われています。
文化的にも北前船などの海運業や漁業に強い影響を受け湊の近くにある円覚寺には数多くの舟絵馬が奉納され円覚寺奉納海上信仰資料として国指定重要有形民俗文化財に指定されています。
又、江戸時代当初は大間越街道(西浜街道)が政治的に安定していたところから藩主の参勤交代で利用し、深浦町も宿場町として整備され、秋田藩の藩境には大間越関所(深浦町指定史跡)が設けられましたが羽州街道が開削されると次第に重要性が薄くなり、旅人や物資の輸送などに利用されました。
深浦町は西側が日本海、東側が白神山地に囲まれた自然豊かな地域で日本海では地震で隆起した千畳敷や岡崎海岸、行合崎などの名勝が続き津軽国定公園に指定されています。
又、白神山地側には青池を中心として様々な湖沼が点在する十二湖や日本キャニオン、ブナの自然林などがあり昭和28年(1953)に「深浦・十二湖県立自然公園」が指定され、昭和50年(1975)には津軽国定公園、さらに平成5年(1993)には白神山地が世界自然遺産に登録されています。
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