青森市(歴史)概要: 青森市は縄文文化の発達した地域で縄文時代前期中葉から中期末葉の三内丸山遺跡(特別史跡)では日本最大級の縄文集落跡が発見され大型竪穴住居跡、竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、墓、などが見つかっています。
縄文時代後期前半の小牧野遺跡(国指定史跡)では環状列石が発見され秋田県の大湯環状列石や伊勢堂岱遺跡など北東北から北海道にかけての縄文巨石文化の一端を見ることが出来ます。平安時代も人の営みがあり高屋敷館遺跡(国指定史跡)では環壕集落が見つかっています。
当時、青森市中心は外が浜の一漁村でしかなく室町時代に北畠親房の後裔である浪岡氏が築いた浪岡城の城下町が小京都を称する程の繁栄を極めていました。
戦国時代末期になると大浦為信が津軽地方を統一し江戸時代は青森市内一帯も弘前藩に属するようになります。弘前藩2代藩主津軽信枚は青森湊を鯵ヶ沢・十三湊・深浦と共に藩内4浦の1つに定め森山信実によって積極的に湊の整備が行われました。
寛文11年(1671)には御仮屋を設け、外が浜における商船の入港を青森湊に限定するなど対策が講じられ近江や越前といった日本海側の主要都市からの商人が集まり弘前藩最大の商業都市として発展しました。
明治4年(1871)に県庁が弘前から青森に移り、以後、青森県の中心都市として青函定期航路や東北本線、空港が整備され交通の要衝としても確固たる地位を確立しています。
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