青森市: イタリア館

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概要・歴史・観光・見所

イタリア館(青森市)概要: イタリア館は大正6年(1917)から大正7年(1918)にかけて、ジュセップ・ファブリーによって鰯油漬缶詰製造工場の事務所(西洋館)として建てられた建物です。

煉瓦造2階建、寄棟、鉄板葺、平入、外壁はモルタル塗り、ペンキ仕上げ、開口部は縦長で上部がファンライト(半円形の欄間)、軒下の持ち送り、屋根のドーマ、暖炉の煙突、玄関上部のバルコニーなど当時の洋風建築の要素を取り入れられています。

ジュセップ・ファブリーは慶応2年(1866)にイタリアローマ市に生まれ、大正4年(1915)にイタリアから来日し当初は外国の映画を日本に売る為に兵庫県神戸市の商社に勤めていましたが、日本で鰯が豊富に水揚げされる事を聞き付け、それを加工してイタリアに販売する事を思いつき大正5年(1916)に油川に移り住みました。

事業計画を話すと当時の青森県知事や油川村長も積極的に協力し当初は油川の民家を借り受けていましたが、予想以上に良質で豊富鰯で加工された缶詰が好評だった為、翌年から本格的な工場と煉瓦造の事務所兼邸宅が建設されました。

工場が完成すると鰯だけでなくマグロ、マルメロ、グリンピースなどの缶詰も生産され、国内のみならず、イタリアや東南アジアにも輸出し、さらに周辺の土地を買い取り牛、馬、ニワトリなどの家畜やトマト、ジャガイモ、グリンピースの栽培にも力を入れ60人から80人の雇用を生み当地方を代表する企業に発展しました。ジュセップ・ファブリーは工場完成直後に死去すると、村葬が執り行われ多くの参列者に見送られながら寺内野の墓地に葬られました。

現在の墓碑は昭和2年(1927)に建立されたものを昭和7年(1932)に明誓寺に移されたものでボイラーの上に十字架を立ています。イタリア館は現在、外壁にモルタルが塗られるなどの改変はありますが、当時の形状を大変良く残しており貴重な存在とされます。

イタリア館:写真

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