大星神社(青森市)概要: 大星神社は青森県青森市問屋町一丁目に鎮座している神社です。大星神社の創建は延暦11年(792)、蝦夷鎮護の祈願所として勧請されたのが始まりとされます。
延暦20年(801)に蝦夷東征の任を賜った征夷大将軍の坂上田村麻呂が戦勝祈願を行い見事念願成就すると改めて天之御中主神を勧請し社殿を再建、以後、妙見宮と呼ばれるようになっています。その後荒廃しましたが、弘前藩初代藩主津軽為信の庇護のもと社殿の再建が行われ歴代藩主の崇敬社となりました。
2代藩主津軽信牧は元和4年(1618)に社殿の修築と参拝、4代藩主津軽信政は社殿の再建と庭園の作庭さらに桜の植樹の境内の整備(同種の桜は信政を祭る高照神社にも植樹されています)、9代藩主津軽寧親は本殿の造営と御神器諸物の寄進、自らの筆を取った社号の扁額を奉納するなど庇護した事で社運も隆盛し藩内でも有数の大社となりました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され明治3年(1870)に現在の社号である大星神社に改称し、明治6年(1873)に郷社に列しています。
大星神社の社宝である寧親真筆の扁額は文化6年(1809)に蝦夷地警備を命ぜられた際に奉納したもので貴重な事から昭和37年(1962)に青森市指定文化財に指定されています。
木造舞楽面(9面)と木造能面(1面)は中世に製作されたもので同種のものとしては東北地方の最優作とされ江戸時代の紀行家菅江真澄も「栖家能山」で記載するなど貴重な事から平成11年(1999)に青森県重宝に指定されています。
大星神社拝殿は入母屋、妻入り、鉄板葺き、間口4間、奥行き3間。本殿は一間社流造、鉄板葺き、外壁は真壁造り板張り。
大星神社に伝わる伝承によると坂上田村麻呂が蝦夷討伐で苦戦が続き北方鎮護である北斗七星に戦勝祈願すると霊夢に北斗七星の化身が立ち、この面を被り東征すると念願成就するだろうと告げました。
目が覚めると目の前に7つ面が掲げられていた為に神意と悟り、田村麻呂配下の7将軍にそれぞれ面を与えて進軍させると連戦連勝し見事蝦夷を討伐する事に成功したと伝えられています。津軽大北斗七星。例祭:天之御中主神。例祭:5月7日。
【 参考:文献等 】
・ 大星神社新築落成記念碑
・ 現地案内板(由緒)-大星神社
・ 現地案内板(枝垂れ桜の由来)-妙見まちづくり協議会
・ 現地案内板(古面・額)
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