神明宮(深浦町)概要: 神明宮の創建は不詳ですが文亀2年(1502)に吾妻館を築いた葛西木庭袋伊予守頼清が城中に伊勢神宮(三重県伊勢市)の分霊を勧請し城の鎮守社、葛西木庭袋家の氏神として祀ったのが始まりと伝えられています。その後、天文2年(1533)南部高信の侵攻により頼清は討死し吾妻館は落城、又は戦国時代に千葉氏の侵攻により木庭袋伊勢守信清、信義が討死し子孫は弘前藩家老と、社家と別れています。江戸時代に入ると弘前藩主津軽家から庇護され寛永11年(1634)には2代藩主津軽信牧が社殿を再建し、海運の安全と領内鎮護の祈願所としました。
元禄11年(1698)には4代藩主津軽信政が現在地に鎮座していた熊野宮の境内に神明宮を遷座合祀し鳥居と石橋を寄進しています。明治時代以降の社格は郷社、拝殿は明治6年(1873)に深浦小学校の校舎として利用されています。
境内に建立されている「花塚」歌句碑は安政2年(1855)に中村市郎平、大善院、善寿院、大高薫仙、広田由左衛門、竹越元治郎、松岡武平、浦谷源蔵、山崎松亭、山崎豊前、工藤周防が奉納したもので「花塚やきのふの露に蝶ふたつ」の発句と「いけ花にこころをこめし□のらばいく世たむへき神の社に」の和歌が刻まれています。「花塚」歌句碑は平成5年(1993)に深浦町指定史跡に指定されています。
現在の神明宮拝殿は入母屋、鉄板葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、本殿は一間社神明造、銅板葺。例祭:8月1日。主祭神:天照大日霎命。配神:伊弉諾命、伊弉冊命。旧郷社。
|