大鰐温泉・歴史概要: 大鰐温泉の開湯は建久年間(1190年〜1198年)、円智上人(大日如来を本尊として高伯寺=大円寺を開山)がこの地で病に罹り寝込んでいたところ、大日如来の分身が夢枕に立ち、この地に湧き出る温泉に土用・丑の日に沐浴すれば病が治ると御告げがあり大鰐温泉の発見につながったと伝えられています(現在でも土用の丑の日には丑湯祭=温泉祈祷式が行われ、終了後の丑の刻の大鰐温泉に入湯すると1年間無病息災で過ごせると云われています)。
時代が下がって慶長年間(1596年〜1615年)弘前藩初代藩主津軽為信が眼病を患ったところ薬師如来が夢枕に立ち、「大鰐に湧く温泉で目を洗えば必ず治る」との御告げがあり、温泉で目を洗うとたちまち快癒したと伝えられています。
3代藩主津軽信義は大鰐温泉を湯治場として整備し、自らの御仮場を建設、又、飼っている鷹が病気となり高伯寺(現在の大円寺)の大日如来に祈願すると不思議と平癒した事で、大日如来像を京都で修復し大鰐温泉に御堂を再建して篤く帰依したと伝えられています。
この頃になると大鰐温泉の知名度も広く知られるようになり江戸時代の元禄6年(1693)に発行された温泉番付「諸国温泉功能鑑」にも掲載されるなどおおいに賑ったそうです。
又、大鰐温泉は羽州街道の宿場町(中心部は宿川原)でもあり多くの旅人や商人などにも利用され、明治28年(1895)に奥羽本線が引かれ「大鰐駅(現在のJR大鰐温泉駅)」が開業すると遠方からも湯治客が訪れ花柳街としても繁栄しました。
現在の大鰐温泉は当時の賑わいはありませんが9つの共同浴場(編集現在:若松会館・霊湯大湯・青柳会館・山吹湯・羽黒湯・茶臼湯・萩乃湯・寿乃湯・鯖石温泉)が存在し静かな温泉街となっています。
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