大円寺(大鰐町)概要: 神岡山大円寺は青森県南津軽郡大鰐町蔵館字村岡に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。現在の大円寺の前身である高伯寺の創建は延暦年間(782〜806年)、坂上田村麻呂が東夷東征の際この地を訪れ戦勝祈願の為、阿闍羅山山頂に大日如来を安置したことが始まりと伝えられています。当初は大安国寺と称していましたが、建久2年(1191)円智上人(大鰐温泉を開湯)が阿闍羅山山頂から大日如来を蔵館に移し寺号を「高伯寺」に改め中興開山し、室町時代初期には南北朝の争乱により被害者の御霊を慰める為に足利尊氏によって指定された全国66ヶ所の安国寺のうちの1つとして寺運も隆盛します。その後一時荒廃しますが慶安3年(1650)3代弘前藩主津軽信義が帰依し大日如来を京都で修復させ堂宇を現在地に造営し高伯寺の名号を移しました(信義の愛鷹が大病を患い、祈願したところ見事平癒した事から篤く帰依するところとなったそうです)。江戸時代中期には紀行家菅江真澄も当寺を訪れ、当時の境内の様子の詳細を書き留めています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により弘前城の城下町にあった八幡神社と最勝院が分離し最勝院が旧大円寺の境内に移り、大円寺の寺籍が現在地である高伯寺(当時は無住)境内に移った事で寺号を「大円寺」に改め現在に至っています。寺籍を遷す前の大円寺の創建は享禄元年(1528)、当時の大浦氏(後の津軽氏)の本拠地である種里城の城下町に大浦盛信が父親である大浦光信の供養をする為に創建された寺院で、津軽信義、津軽信政の2代にわたり五重塔を造営するなど篤い庇護を受けました。
現在の大円寺(旧高伯寺)本尊の大日如来座像は(本来は阿弥陀如来像ですが何故か古くから大日如来と呼ばれています。諸説あり阿弥陀如来像の胎内仏が大日如来像。阿弥陀如来が変化して大日如来に転じたなど)鎌倉時代初期に制作されたもので仏師・定朝様式のヒバ材、寄木造、像高233cm(8尺)、漆箔仕上、津軽地方最古の仏像として大変貴重なもので大正9年(1920)に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。
大円寺山門は入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚二重楼門。金毘羅大権現堂は江戸時代に再建されたもので入母屋、妻入、茅葺、間口2間、正面1間向拝付。旧大日堂は江戸時代に建てられたもので、宝形造、鉄板葺、桁行3間、梁間3間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。金毘羅大権現堂は木造平屋建て、入母屋、妻入、茅葺、間口2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。東北三十六不動尊霊場第14番札所(札所本尊:不動明王・御詠歌:聖の 慈悲にすがりて 阿闍羅山 昔も今も めざす大日)。津軽弘法大師二十三ヶ所霊場第22番札所(御詠歌:来世を 願うこころに はるばると 大円大寺に 詣で来にけり・長閑けしや 出湯の里の 大円寺 木々の葉かげに 鳥さえずりて)。津軽一代様(未申年生まれ・守り本尊:大日如来)。北国八十八ヶ所霊場第57番札所(札所本尊:大日如来・阿弥陀如来)。津軽八十八ヶ所霊場第61番札所(札所本尊:大日如来・御詠歌:後の世を おそるる人は 大円寺 いつもとまらぬ 白滝の糸)。山号:神岡山。宗派:高野山真言宗。本尊:大日如来、不動明王。
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