今泉賽の河原

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概要・歴史・観光・見所
今泉賽の河原(中泊町)概要: 今泉賽の河原は十三湖を見下ろす高台に位置し、南北朝時代の大津波や室町時代の戦乱で亡くなった人を供養したのが始まりと伝えられ「日本最古のイタコ発祥地」や「川倉賽の河原発祥地」と云われています。大津波といえば興国元年(1340)十三湖で大津波が起こり安東氏の本拠で三津七湊の1つに数えられた十三湊が飲み込まれ12万人の死亡者を出したとも言われていましたが、発掘調査によるとそのような事実はないそうです。その後衰微しましたが寛文9年(1669)、再興され今泉観音堂が建立、享保元年(1716)には良演上人(中泊町:善導寺6世)が地蔵堂を金木の川倉に移し、江戸時代末期には飛龍大権現が勧請合祀され飛龍宮と称されるようになりました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、観音堂も廃堂、本尊だった千手観音菩薩像は最勝院弘前市)に移され明治6年(1873)に神明宮となります(津軽三十三観音霊場第16番札所に選定されていた今泉観音堂は明治8年:1875年に中泊町今泉唐崎に再興されています)。その後、境内地から木造の地蔵尊像が発見された事から地蔵堂が再建され33体地蔵尊など随時境内が整備されました。境内は比較的広く他の賽の河原に比べるマガマガしい印象を受けませんでした。平日は参拝者も少なく少し寂しい感じを受けます。例祭である6月23日には「イタコの口寄せ」や興行などが行われ多くの参拝者が訪れます。

今泉賽の河原:境内・写真

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