岩木山: 大浦城

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概要・歴史・観光・見所
大浦城(弘前市)概要: 大浦城の築城は室町時代後期の文亀2年(1502)大浦城大浦光信が築いたのが始まりと伝えられています。当初は居城でった種里城の支城的な役割でしたが子息である大浦盛信を城主とし津軽地方進出の拠点となった事で重要視されました。以来、大浦氏の居城として整備拡張され津軽統一の中心地となりました。元亀2年(1571)大浦為信(出生不詳、南部氏の氏族である久慈氏から大浦為則の婿養子になったとされます。)が主家である三戸南部氏に対し反旗を翻し、三戸南部氏の家臣南部高信が守る石川城を強襲、その後も和徳城や大光寺城、浪岡城、油川城を攻略し17年かかり津軽を統一、天正18年(1590)の小田原の役で豊臣秀吉で謁見したことで三戸南部氏から完全に独立が認められ4万2千石が安堵されました。文禄3年(1594)には大浦城から津軽地方を統治し易い堀越城に居城を移し、さらに弘前藩2代藩主津軽信枚は堀越城が家臣の反乱などに弱さが見られる事から慶長16年(1611)に弘前城を築城し弘前藩の藩庁、藩主居館を設けました。その間、大浦城は支城として城代が派遣されていましたが元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり城内にあった建物は破棄あるいは移築されました。

大浦城は平城で城域は東西約500m、南北約250m、本丸を中心に二ノ丸、西ノ丸、三ノ丸、西ノ郭、南ノ郭があり大きく2重の水堀と土塁で囲い、後長根川が天然の外堀に見立てられていました。本丸は水堀と土塁で囲われ、南東隅には櫓が設けられ、二ノ丸と西ノ丸の2箇所に出入出来る城門が設けられました。二ノ丸は本丸の3方(北・東・南)を囲むように配され、虎口の城門が三ノ丸と南ノ郭方向に設けられました。西ノ丸は本丸の西側に配され火薬庫などが設けられました。現在、本丸周辺が津軽中学校の校庭、その他は果樹園や住宅地となった為、形状なども不明ですが、当時のものと思われる土塁や空堀跡が点在しています。大浦城の建物の遺構としては弘前市新寺町にある法源寺の山門は大浦城の移築城門とされる他、弘前市禅林街にある長勝寺には文亀2年(1502)に大浦城の台所として建てられた建物が庫裏として移築されています。

大浦城:写真

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