多賀神社(清水観音堂) 概要: 多賀神社は青森県弘前市大字桜庭字清水流に鎮座している神社です。多賀神社の創建は2説あり、1つは大同2年(807)坂上田村麿が開いた説、もう1つは天平3年(731)行基菩薩(奈良時代の高僧)が聖武天皇の勅命により全国を行脚していた際、当地を霊地と悟り自ら千手観音像を彫刻し大高森山(西目屋村)の岩窟へ安置した説があります。
岩窟に祀られていたことから「岩屋観音」とも清水が湧き出ていた事から「清水観音」とも近くに老松から白い花が咲いたことから「花咲松の観音様」などと呼ばれて広く信仰されました。
江戸時代に入ると歴代弘前藩主から庇護され初代津軽為信が社殿を再建すると2代津軽信牧は大鳥居、3代津軽信義が石段を寄進し、4代津軽信政は万治3年(1660)に現在地(桜庭)に遷座し懸け造りの社殿を建立、社領4石3斗3升7合を安堵したとされます。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、本地仏だった千手観音像は弘前市禅林街にある桜庭山陽光院へ移されました。
陽光院は元々、当地域の領主桜庭信光が慶長15年(1610)に父親である信正の菩提を弔う為に開かれた寺院でしたが、弘前城の防衛の一環として禅林街が町割りされ当時の藩主津軽信牧の命で移されています。
明治3年(1870)に多賀神社と社号を改称されましたが廃仏希釈の気運が収まると再び仏教色の強い津軽三十三霊場2番札所として信仰されるようになっています。
多賀神社境内から湧き出る清水は昭和63年(1988)に青森県指定の「私たちの名水」に選定され、参道の両側に安置している石造狛犬(寛文4年:1664年建立、像高約60cm、像長55cm)は弘前市内にある弘前八幡宮及び熊野奥照神社と酷似し文化圏を形成する一端として昭和50年(1975)に弘前市指定有形文化財に指定されています。
津軽三十三観音霊場第2番札所(目屋の清水観音・札所本尊:千手観音菩薩・御詠歌:我が庵を 遥々ここに 清水の 流れに浮かぶ 法の月影 )。津軽一代様(干支:子・守り本尊:千手観音菩薩)。祭神:伊弉諾神。例祭:8月17日。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-岩木町・岩木町教育委員会
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