弘前八坂神社概要: 弘前八坂神社の創建は不詳ですが正保4年(1647)、神仏習合していた大円寺と共に弘前城の戦略的、霊的拠点として共に現在地に移されました(詳細は判りませんが、慶安3年:1650年に新寺町が新たに町割りされている事から、この前後に遷座したと思われます)。
大円寺は文亀年間(1501〜1504年)に大円坊によって開かれたのが始まりとされ、八坂神社はその鎮守社として勧請されたと思われます。境内地は寺沢川と土淵川の合流地点で弘前城から見て南側の防衛拠点になりうる場所だった事から、大円寺には3代藩主信義の守り本尊である大日如来が安置され、水を司る牛頭天王が祀られました。
以来、歴代弘前藩主津軽家から祈願所として庇護され社運(寺運)も隆盛しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により大円寺と分離し、明治4年(1871)には社号も牛頭天王から八坂神社に改められました。
大円寺は大鰐町の高伯寺境内に移転させられ、その跡地には最勝院が移ってきています。
神仏習合時代は大円寺と八坂神社の境内は一体でしたが、最勝院が移ってきた為、境内が分断され、現在に見られるように一之鳥居と二之鳥居の位置関係が直角となっています。
又、八坂神社の本地仏で仏教色が強かった牛頭天王像は、旧大円寺の本堂を引き継いだ最勝院の護摩堂の本尊として移され、八坂神社には改めて須佐之男命(神仏分離により牛頭天王から須佐之男命に改めた神社は数多くあります。)の分霊が勧請されました。
現在の社殿は昭和21年(1946)に火災で焼失後の昭和24年(1949)に再建したもので拝殿は入母屋、鉄板葺、妻入、正面1間向拝付、本殿は一間社、神明造、鉄板葺。祭神:須佐之男命、奇稲田姫命、草野姫命、菅原道真公。例祭日:旧6月14日。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(御由緒)-弘前八坂神社
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