富岳神社(弘前市)概要: 富岳神社は青森県弘前市大字境関字富岳に鎮座している神社です。富岳神社の創建は不詳ですが伝承によると延暦年間(782〜806年)に坂上田村麻呂が勧請したのが始まりと伝えられています。
歴代領主から崇敬され社領の寄進や社殿の造営などが行われ領内総鎮守、産土神として広く信仰されました。当初、富田館に鎮座していましたが、寛永19年(1642)現在地に遷座し、元禄2年(1689)に吉町弥治衛門によって社殿が寄進され、弘化2年(1845)に大袋葛西勘十郎から社領の寄進がありました。
古くは薬師堂と称していましたが江戸時代末期の嘉永年間(1848〜1854年)に大汝少彦名神社に社号を改め、 明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治元年(1868)に富岳神社に改称、明治42年(1909)に村社に列し、神饌幣帛供進神社に指定されています。
拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺、妻入、間口3間、奥行4間、大壁造漆喰仕上げ。本殿は一間社流造、銅板葺、外壁は真壁造板張り。
又、境内地は中世、葛西氏の居城である境関館の跡地で、十三湊(十三湖)の畔にある福島城を拠点として津軽地方を治めた安東氏の庶流の和徳城主安倍伊予守の侵攻により落城したと伝えられています。
境関館は平川を天然の外堀に見立てた平城で南北約150m、東西約50m、主郭と二之郭で構成されそれぞれ堀と土塁で囲われていました。現在は畑地と富岳神社の境内になっていますが一部明瞭な空堀と土塁の遺構が見られます(富岳神社は江戸時代になって当地に遷座しているので境関館とは関係なさそうです)。祭神:大己貴神、少彦名神。例祭7月8日。
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