熊野奥照神社

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概要・歴史・観光・見所

熊野奥照神社(弘前市)概要: 熊野奥照神社は青森県弘前市田町4丁目に鎮座している神社です。熊野奥照神社の創建は崇神天皇67年(紀元前31年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。

斉明天皇4年(658)には阿部比羅夫がこの神社を崇敬、 熊野三所大権現を勧請し物部安麿が小田山の地に社殿を建立、延暦7年(788)に比羅賀洲王が奥尾崎(中泊町小泊地区付近)から扇野庄(今の弘前)に遷座しました。

延暦21年(801)に桓武天皇により社殿が再建され社号を高岡神社とし延暦24年(804)に陸奥国高岡熊野神社に改称しています。大同2年(807)には東威東征で当地まで進軍してきた坂上田村麻呂が当社で戦勝祈願の為に参拝したと伝えられています。

室町時代後期から津軽氏の崇敬社となり、天正16年(1588)には津軽為信が社殿を修築、慶長15年(1610)には弘前藩(藩庁:弘前城)2代藩主津軽信枚が社殿を再建し、天保13年(1842)には11代藩主津軽順承が拝殿を再建しています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され社号を熊野奥照神社に改称、明治6年(1873)に郷社、明治13年(1880)に県社に列しています。

現在の熊野奥照神社本殿は慶長15年(1610)に再建されたもので三間社流造、こけら葺き、素木造り、正面3間向拝付、細部の彫刻や組物など江戸時代前期の神社本殿建築の特色をよく残している貴重な建物として昭和29年(1954)に国指定重要文化財に指定されています。

熊野奥照神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺、平入、桁行5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。中門は切妻、鉄板葺、一間一戸、腕木門形式。

又、社宝である蕨手刀(奈良時代作、全長63.5cm、柄の長さ13.5cm、反り2.4cm)が青森県重宝に指定されている他、石造狛犬(寛文4年:1664年奉納、像高約60cm、像長55cm、笏谷石製)と熊野奥照神社板碑(建武元年:1334年建立、安山岩製、高さ83cm、金剛界五仏を示す種子)がそれぞれ弘前市指定有形文化財に指定されています。

津軽大北斗七星。祭神:伊邪那岐神、伊邪那美神。例祭:7月15日。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板

熊野奥照神社:本殿・拝殿・写真

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