中泊町: 柴崎城

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概要・歴史・観光・見所
柴崎城(中泊町・権現崎)概要: 柴崎城は寛喜元年(1229)安東宗季によって権現崎に築城されたと伝えられています。柴崎城は福島城唐川城、共に安東氏三段構の城の1つとして軍事的拠点として重視され小規模な山城ながら三方が日本海に面するなど要害堅固な城として知られていました(福島城は安東氏の本拠となった十三湖の湖畔、唐川城は詰城として十三湖を見下ろす山の山頂に築かれました)。嘉吉3年(1443)、安東盛季が当主の時代、居城だった福島城が南部政盛に奪取され盛季は唐川城で籠城戦を展開、激戦の後、柴崎城まで退却しました。柴崎城では大きな戦闘が行われず安東氏は蝦夷(後の松前氏)や秋田(後の秋田氏)に逃れていきました。南部氏は北津軽地域に積極的な支配を行わなかったとされ柴崎城は廃城になったと思われます。案内板によると「安東家三段構えの城の内の背水の陣といわれる。自然の地形を形どり、後ろに大澗という海辺を控えているのが特徴である。津軽の豪族安東盛季が南部義政に攻められ、市浦村の福島城、唐川城を捨て、嘉吉3年(1443年)エゾ地に撤退の際、最後に立ち寄ったの柴崎城であるといわれている。」とあります。現在は神明宮の境内が柴崎城の跡地で、社殿が建てられた付近が主郭が配されていたと推定されています。空堀や土塁と思われる形状が残されているものの、年代が不明瞭で、神明宮創建後に整備された可能性もあるそうです。

柴崎城(権現崎):写真

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