津軽半島: 今別町

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概要・歴史・観光・見所
今別町(津軽半島)概要: 今別町は古くから北前船や廻米船の寄港地として発展した町で、江戸時代では奥州街道仙台城下又は油川宿以北を松前道ともいう。)の宿場町となり多くの人達が利用しました。弘前藩(藩庁:弘前城)では領内の重要視する6つの湊(今別湊、十三湊、蟹田湊、青森湊深浦湊鯵ヶ沢湊)と3つ関所(碇ヶ関関所大間越関所・野内関所)を合わせて津軽九浦として代官所や御仮屋などを設けて重点的に整備し、今別町でも町奉行所や御山奉行所が設置されています。江戸時代前期は三厩村が開宿したいなかった為、松前藩も今別宿を利用する事も多く重要視され、三厩に比べても本覚寺正行寺今別八幡宮などの神社仏閣が多く当時の名残を残しています。天明8年(1788)には古川古松軒(江戸時代後期の旅行家、地理学者)が訪れていて、今別は50余軒の家屋があり何れも大型で100石積の船が78隻があり裕福な町と「東遊雑記(天明の飢饉後の東北地方から蝦夷地にかけての見聞録)」に記しています。又、享和2年(1802)には伊能忠敬(江戸時代の商人・測量家、大日本沿海輿地全図の製作者)が測量に訪れています。現在は古い町屋は少ないものの鄙びた町並みが続いています。

今別町:写真


今別町並み 今別町並み 今別町並み 今別町並み

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