広船城(平川市)概要: 案内板にとると「 築城年代は不詳。諸書に阿部兵庫介在城とあるが、後の沖館城と共に桜庭太郎左衛門信正が預かりこの城に在城した。広船神社に「慶長十五年別浦太郎左衛門尉信正」在銘の棟札がある。この城は、主郭と2つ帯郭からなっていたようだが、わずかにその面影を留めているに過ぎない。」とあります。
広船城は比較高約20m程の丘に築かれた平山城で、正確な資料が無く築城年や城主など不詳。隣接し鎮守社だったと思われる広船神社周辺が城跡だったとされ主郭と2つ帯郭だけでしたが主郭は東西約100m、南北約70mの規模があり居館としては十分だったと思われます。
案内板に出てきた阿部兵庫介と桜庭太郎左衛門信正は共に沖館城の城主でもあり、広船城と沖館城は基本的には同じ城主で連動して大光寺城を守備していたと思われます。
大光寺城は慶長14年(1609)に城主だった津軽建広が弘前藩(藩庁:弘前城)の藩主の跡目争いで破れ開城し、そのまま廃城になった為、広船城も同時期に役割を終えたと思われます。
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