貞昌寺(弘前市)概要: 月窓山栄源院貞昌寺は青森県弘前市新寺町に境内を構えている浄土宗の寺院です。貞昌寺の創建は室町時代末期の永禄年間(1558〜1570年)、後の初代弘前藩主となる津軽為信が生母桂屋貞昌大姉の菩提を弔う為に開かれたのが始まりと伝えられています。寺号は生母の戒名に因んだもので当初は大光寺村(現在の平川市)に境内を構え寺領30石が寄進されていました。慶長13年(1608)に2代藩主津軽信枚の生母栄源院殿月窓妙林大姉が死去すると当寺に葬られ戒名から山号が月窓山に改められ、さらに30石の寺号が加増されました。慶長16年(1611)に弘前城が完成した前後に弘前城下の寺町に移されましたが慶安2年(1649)に寺町が火災により焼失すると弘前城の南方の防衛施設として新寺町の町割りが行われ、慶安3年(1650)に現在地に移されたと思われます。
その他にも貞昌寺には津軽為信の娘とされる伊喜や3代藩主津軽信義生母の荘巌院(辰姫:石田三成の娘、豊臣秀吉の正室・高台院の養女、津軽信枚の側室、元和9年:1623年死去)など津軽家縁の人々が葬られた為、歴代津軽家から庇護され弘前藩内の浄土宗寺院の中で四ヶ方丈(誓願寺・本覚寺・法王寺)の格式を持ち、宝永3年(1706)には4代藩主津軽信政により堂宇の再建と境内の整備が行われています。
貞昌寺は新寺町の中でも重要な位置に配置されたとされ、それを暗示するように造園された庭園は、鑑賞式と回遊式を兼ねた築山泉水庭として名を馳せ、特に領内を縮小した構成になっていて岩木山や岩木川、津軽平野を模した縮景式庭園でさらに背後の山々を借景として取り入れています。貞昌寺庭園は宝永3年(1706)に信政が境内を整備した前後に、野本道玄(京都出身の数寄者)によって作庭されたものとも云われ、3240uが平成14年(2002)に青森県指定名勝に指定されています。
貞昌寺寺宝である絹本著色当麻曼荼羅図は鎌倉時代後期に制作されたもので奈良当麻寺の浄土図を模し4分の1の大きさであることから「四分一曼荼羅」と呼ばれています。絹本著色当麻曼荼羅図は作風に優れ制作当時の特徴をよく表しているものとして平成3年(1991)に青森県重宝に指定されています。木造釈迦涅槃像(附:胎内納入文書二十三葉)は延宝8年(1680)に彫刻されたもので像長さ約220cm、寄木造、漆箔、昭和53年(1978)に弘前市指定文化財に指定されています。津軽八十八ヶ所霊場第41番札所(札所本尊:阿弥陀如来・御詠歌:弘前の 寺へもうでる 人はみな 現世あんのん しょう極楽)。山号:月窓山。院号:栄源院。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
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