弘前市: 久渡寺

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概要・歴史・観光・見所
久渡寺(弘前市)概要: 護国山観音院久渡寺は青森県弘前市坂元山元に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。久渡寺の創建は平安時代の延暦年間(782〜806年)、阿闍羅山(大鰐町)に建立されたのが始まりと伝えられています(往時、阿闍羅山には3千坊と呼ばれる程多くの寺院が境内を構えていたと伝えられています)。当初興福寺と称していたそうですが荒廃し円知上人が小沢(弘前市小沢)に移し寺号を小沢山観音院救慶寺と改称しました。その後再び荒廃しましたが戦国時代末期には後に津軽氏を称する大浦氏から庇護され慶長年中(1596〜1615年)に大浦為信が寛海和尚を招き中興開山し寺領100石を寄進し山号を護国山観音院に改めています。

江戸時代に入ると弘前藩(藩庁:弘前城)藩主の祈願所として庇護され、元和5年(1619)には2代藩主津軽信枚が別当の円知坊に寺領20石を寄進し寺号を久渡寺に改称、寛永11年(1634)には3代藩主津軽信義が寺領100石を寄進、寛永21年(1644)には同じく信義より50石が加増、さらに、寛政4年(1792)に火災で堂宇が焼失すると藩主の命で堂宇が再建されています。寺運も隆盛し最勝院や百沢寺(現在の岩木山神社)、橋雲寺、国上寺と共に津軽真言五山に数えられました。

又、久渡寺はイタコの習俗や、オシラサマ講などの民間信仰が盛んな寺院としても知られ、例祭(5月15・16日)には津軽地方から秋田県北部の信者達が集まり桑の木で作った男女一対の木像(オシラ様)を奉納し大幣で御祓い、さらにイタコが護摩壇前で津軽三十三観音の御詠歌やオシラ祭文を唱えるという民俗風習が現在でも続けられています。久渡寺の例祭は古式を伝える行事として貴重で、「由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの 」との選択基準を満たしている事から平成11年(1999)に名称「久渡寺のオシラ講の習俗」として国の「記録作成等の措置を構ずべき無形の民俗文化財」に選択されています。

久渡寺聖観音堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板亀甲葺、平入、桁行2間、張間2間半、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り木部朱塗り、眼象窓付。奥の院は木造平屋建て、宝形造り、鉄板亀甲葺、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造板張り白漆喰仕上げ。津軽三十三観音霊場一番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:補陀洛や 恵みも深き 観世音 罪も報いも 晴らす宮立)。津軽弘法大師霊場第6番札所。津軽八十八ヵ所霊場第40番札所。山号:護国山。院号:観音院。寺号:久渡寺。宗派:真言宗智山派。本尊:聖観世音菩薩(伝、慈覚大師円仁作)。

久渡寺:写真

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久渡寺苔生した途轍もなく長い参道の石段 久渡寺石段の先に見える観音堂とのぼり旗 久渡寺参道から見上げた観音堂と石燈篭と木製燈篭 久渡寺観音堂の外壁側面の眼象窓
久渡寺奥之院とその前に置かれた石造神馬 久渡寺本坊(庫裏) 久渡寺鎮守社と思われる稲荷社 久渡寺石仏群

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