隣松寺(弘前市)概要: 蟠竜山隣松寺の創建は不詳ですが、室町時代後期の永正年間(1504〜1520年)、又は、享禄年間(1528〜1531年)に賀田村(旧岩木町)に開かれたのが始まりと伝えられています。
慶長16年(1611)に弘前城が概ね完成すると弘前城の裏鬼門(南西方向)にあたる地に津軽家の菩提寺、長勝寺が遷され、それに伴い領内の曹洞宗寺院による禅林街が町割りされ隣松寺も現在地に境内を構えました。
隣松寺は弘前藩4代藩主津軽信政の生母久祥院の実家多田家(関が原の戦いの際、当主津軽為信に反旗を翻し、当時の津軽家の居城堀越城を占拠した多田玄蕃も多田家出身)の菩提寺として庇護され、元禄5年(1692)に久祥院が死去すると菩提は境内に葬られ信政も生母の供養の為、元禄年間(1688〜1703年)に位牌堂を建立し、寺領100石を安堵しています。
久祥院は才色兼備、文武両道の持ち主だったとされ、波乱に満ちた3代藩主津軽信義を助け、名君とも呼ばれた信政の教育を行い大きな影響を与えたと云われています。
久祥院殿位牌堂は1間厨子で屋根は宝形造、木瓦葺、軒唐破風付き、総高2.8m、幅約1m、台座高51cm、全体が黒漆で塗られ細部にも凝った造りが見られるもので、江戸時代中期に造られた御堂建築として貴重な存在で昭和30年(1955)に青森県重宝に指定されています。
又、寺宝には久祥院が生前写経し、信政が隣松寺に奉納した写経8冊があり同じく昭和30年(1955)に青森県重宝に指定されています。久祥院殿写経は妙法蓮華経8巻を鳥の子紙に浄書したもので縦16.5cm、横6.0cm、久祥院殿の筆跡や風格などが伝わるものとして非常に価値が高いものと言われています。山号:蟠竜山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
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