盛雲院(弘前市)概要: 金龍山盛雲院の創建は室町時代末期の元亀年間(1570〜1573年) に乳井氏によって開かれたのが始まりと伝えられています。乳井氏は乳井神社(当時は毘沙門宮)の祭祀を司った別当寺院福王寺の住職だった家柄で、戦国時代の乳井玄蕃(覚恩房)の代に国人領主化し大きな影響力を持ちましたが、永禄8年(1565)に大光寺城主滝本重行により暗殺されます。跡を継いだ乳井大隅守建清(覚林房)は初代弘前藩主津軽為信に従い津軽統一に尽力、年代的にはこの頃(建清の代)に盛雲院が創建されたと思われます。乳井家は津軽家の家臣として奉行などを輩出していることから盛雲院もそれなりの待遇があったと推察され慶長15年(1610)弘前城築城に際し、弘前城の防衛拠点として町割りされた禅林街に移され三十三ヵ寺の1つとして一翼を担いました。
ただし、盛雲院は旧地から移されるのを1度断った為、禅林街の中でも谷に面する一番悪い境内を与えられ「谷の寺」との異名が付けられました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により乳井氏縁の乳井神社から仏教色が一掃され本尊(毘沙門天)は盛雲院に移され鎮守稲荷毘沙門天として祀られています。明治37年(1903)火事により焼失し明治40年(1906)に本堂を再建しています(近年、鉄筋コンクリート造の近代建築として再建)。津軽八十八ヶ所霊場第54番札所(札所本尊:釈迦如来・御詠歌:春は花 夏また涼し 禅林に 大悲のみ声 聞くぞうれしき)。山号:金龍山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来 。耕春院(現在の宗徳寺)の末寺。
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