仏舎利塔(弘前市)概要: 仏舎利塔は昭和16年(1941)に忠霊塔として計画されたものです。昭和14年(1939)、当時の内務省は各市町村に1基の忠霊塔の建立の許可を出し、大日本帝国陸軍も推奨した為、弘前でも禅林街の最奥地にある長勝寺境内の脇である現在地に忠霊塔の建設が計画されました。
弘前の忠霊塔は1階部分の外壁が玉石によって計画された為、市民の多くは岩木川から玉石を袋やリックに詰め当地まで運んだとされ物資不足の中多くの人達の尽力により昭和20年(1945)に完成しました。太平洋戦争に日本が敗北し連合軍により占領されると、忠霊塔は軍国主義の象徴の1つとして撤去の対象となり、日本で多くの忠霊塔が破却、解体されましたが、弘前では解体を惜しみ各方面に働きかけ「忠霊塔」から「忠」の字を外し平和の象徴「霊塔」として存続が認められました(弘前城の跡地に鎮座する護国神社も社号の変更が求められましたが、これも拒否し認められています)。
さらに、昭和23年(1948)にタイから送られた仏舎利を納めたことから仏舎利塔と名称を変えています。太平洋戦争終戦33年を記念してノモンハンや中国、比島など主戦場の土や砂利を持ち帰っています。
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