長者山新羅神社(八戸市)概要: 長者山新羅神社は青森県八戸市長者1丁目に鎮座している神社です。新羅神社の創建は不詳ですが長者山は古くから信仰の山として神聖視され祈祷などが行われていたとされます。
江戸時代初期の寛文5年(1665)に八戸藩(藩庁:八戸城)が立藩すると初代藩主南部直房は長者山山頂に一宇を設け素佐嗚尊と虚空蔵菩薩を勧請、祇園堂又は虚空蔵堂と呼ばれました。
延宝6年(1678)、2代藩主南部直政は藩内の五穀豊穰、万民安穏、無病息災を祈願する為に南部家の祖神である新羅三郎義光の御霊を勧請、素佐嗚尊、新羅三郎義光、虚空蔵菩薩の三神が祀られた事から三社堂と呼ばれるようになります(新羅三郎義光は河内源氏2代目棟梁源頼義の3男として生まれ、孫の源清光の4男である加賀美遠光の3男光行が南部姓を初めて名乗ったとされます)。
以後、長者山新羅神社は八戸南部家歴代の祈願所、八戸藩の総鎮守、一之宮として崇敬庇護され、社領の寄進や社殿の改修、再建は藩費で賄われ、社運も隆盛しました。古くから神仏習合の形態をとっていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治2年(1869)に郷社に列し「新羅神社」と社号を改め、さらに昭和51年(1976)に長者山新羅神社に改称しています。
現在の長者山新羅神社社殿は八戸藩8代藩主南部信真の命により文政9年(1826)から文政10年(1828)にかけて建立されたもので、拝殿は木造平屋建て、桁行5間、梁間3間、入母屋、金属板葺き、平入、外壁は真壁造り板張り素木造、正面1間向拝付き、正面には奉納額が掲げられています。
本殿は三間社入母屋造、金属板葺き、平入、桁行3間、梁間2間、三間向拝付き、向背柱廻りや正面扉など繊細な彫刻た極彩色が施されています。新羅神社社殿(本殿・拝殿)は江戸時代後期の神社建築の遺構として貴重な存在で平成3年(1991)に青森県重宝に指定されています。
長者山新羅神社の例祭である八戸三社大祭では紅白に分かれて8人の騎馬武者が毬杖で毬をすくい上げて得点を競い合う、「加賀美流騎馬打毬」が奉納され、古式を伝える行事として貴重な事から昭和47年(1972)に青森県指定無形民俗文化財に指定されています(3代藩主南部通信が加賀美流馬術の継承者で家臣に馬術を指導、8代藩主南部信真がその中の騎馬打毬を奨励し長者山新羅神社の例祭で奉納されるようになったと伝えられています)。
八戸三社大祭は4代藩主南部広信がおがみ神社の神輿を当社へ渡る神事を認めた事が始まりとされます。社宝である五梅庵畔李(7代藩主南部信房)公「国光の発句」献額は文政10年(1872)に奉納された俳諧献額で、貴重な事から平成17年(2005)に八戸市指定有形文化財に指定されています。
又、新羅神社境内の長者山は源義経の北方伝説の地の1つであり、平泉(岩手県平泉町)にいた義経が家臣である板橋長治喜三郎に命じ、この地に居館を築くため柴や木を回し人が入れないようにしたと伝えられています。
八戸御城下三十三観音霊場第6番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩)。例祭:8月2日。祭神:素佐嗚尊、新羅三郎源義光命。
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