普賢院(八戸市)概要: 宝照山普賢院の創建は承安元年(1171)、行海法印によって開かれたのが始まりと伝えられています。古くから神仏習合し七崎神社の別当寺院として寺運も隆盛しました。
七崎神社は当地方の修験道の一大拠点だった神社で当初は徳楽寺と称し別当寺院は永福寺(普賢院)の他、修験善覚院、大覚院を擁し十和田湖伝説でも有名な南祖坊(修験僧である南祖坊は法力の持ち主で十和田湖の主である八郎太郎と7日7晩戦い見事勝利し、八郎太郎の代わり十和田湖の主になったと伝えられています。)縁の地でもありました。
「十和田山神教記」によると南祖坊は普賢院でも修行した事が記載され大きく繁栄していた事が窺えます。寛保元年(1741)に快伝法印が中興し、文化7年(1810)に火災で焼失し宥鏡法印(岩手県盛岡市:永福寺住職)から愛染明王像(現在の本尊)を拝領しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により徳楽寺は仏式を廃止し七崎神社となった為、本尊だった聖観音菩薩が普賢院に移されています。現在の本堂は再建当時のもので入母屋、鉄板葺、平入、正面唐破風向拝付、山門は向唐門、鉄板葺、左右には地方色豊かな仁王像が安置されています。
糠部三十三観音霊場第15番札所(札所本尊:聖観世音菩薩:七崎山徳楽寺から拝領・御詠歌:頼みある 標べなるけり 七崎山 誓は末の 世にもかわらじ)。宗派:真言宗豊山派。本尊:愛染明王。
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