大慈寺(八戸市)概要: 福聚山大慈寺は青森県八戸市長者1丁目に境内を構えている曹洞宗の寺院です。大慈寺の創建は応永18年(1411)、当時の根城城主南部長経が秋田安東氏との戦いで功を挙げた萬松寺(秋田県鹿角市)の宝山正弥和尚を招き松館に開山したのが始まりと伝えられています。
以来、八戸南部家の菩提寺として寺領100石が寄進されるなど庇護され寺運も隆盛します。奥州仕置き以降、八戸南部家は三戸南部家の従属関係となり寛永4年(1627)、盛岡城の支城である遠野城に移封され大慈寺も遠野に随行します。八戸に残った大慈寺は一時廃寺となりますが盛岡藩主南部利直が再興し寺領50石を寄進、玄龍和尚を招き中興開山します。
寛文4年(1664)に八戸藩が立藩し八戸南部家から寺領50石を安堵され八戸領内10ヶ寺の1つとして庇護されます。
延宝8年(1680)四世明岩幡察和尚の代に八戸城に近い現在地(糠塚)に宿寺(出張所)を創建、さらに天保年間(1830〜1844年)に本格的な堂宇が造営され境内が整備されました。明治8年(1875)に糠塚と松館が同じ大慈寺として独立し明治21年(1888)に糠塚が本寺、松館が末寺となっています。
現在の大慈寺山門は天保2年(1831)に建てられた八脚楼門建築で三間一戸、入母屋、鉄板葺、上層部には花頭窓、高欄付、十六羅漢像が安置、下層部の通路開口部の上部が琴柱火燈の形式を取り入れているのが大きな特徴で八戸市内に残る数少ない楼門建築の1つとして貴重な存在で昭和38年(1963)に八戸市指定有形文化財に指定されています。
経堂は安政5年(1858)に建てられたもので宝形造、桟瓦葺、桁行3間、梁間3間、裳階付き、内部には八角形で回転する経棚が設けられ山門と同様に昭和38年(1963)に八戸市指定有形文化財に指定されています(※本堂、山門、経堂は青森県の重宝に指定されています)。
糠部三十三観音霊場第9番札所(札所本尊:大慈寺三十三観音・御詠歌:ひたすらに 頼をかけよ 大慈寺 むつの巻の 苦にかわるとは)。八戸御城下三十三観音霊場第7番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:ひたすらに 頼みをかけよ 福聚山 現世安安穏 後世極楽)。山号:福聚山。宗派:曹洞宗。本尊:聖観世音菩薩。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-八戸市教育委員会
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