八戸市: おがみ神社

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概要・歴史・観光・見所
おがみ神社(八戸市)概要: 法霊山おがみ神社は青森県八戸市内丸に鎮座する神社で、創建は不詳ですが伝承によると元中年間(1205)、源義経夫人である久我御前が埋葬された場所が聖地化し法霊大明神と称されたのが始まりと伝えられています(社宝手鏡は、生前久我御前が愛用していたものと伝えられています)。又、一説には工藤祐経(鎌倉幕府の御家人で曽我兄弟の仇)の後裔を自称し法霊を名乗る修験僧が当地に巡錫で訪れ布教活動を行っていました。ある年、大干ばつが起った為、雨乞いの祈祷を行いましたが全く効果が無く、村人から責められ投身自殺をしました。村人達は祟りを恐れ法霊明神として祀ると不思議に恵みの雨が降り豊作になったと伝えられています(三崎社の境内にあった池に入水自殺すると、突如として雨が降り出し豊作になった為、感謝の意から法霊明神を三崎社に合祀したとも)。

おがみ神社は室町時代初期に南部信助が中城(後の八戸城)を築くと城の鎮守社として本丸に鎮座し、寛永6年(1629)には南部藩初代藩主南部利直が社殿を再建し、万治元年(1658)に南部藩2代藩主南部重直が社領20石を寄進されされています。寛文4年(1664)八戸藩が立藩し八戸城が築かれると本丸から現在地である2之丸に遷座し寛文6年(1666)には社殿が完成しています。その後も八戸総鎮守、歴代八戸南部家の崇敬社、祈願所として庇護され藩費により社殿の改修や修繕、再建が行われています。又、南部家は源氏の血筋だったことから正徳2年(1712)に八万町鎮座の八幡宮(応神天王)を合祀しています。古くから神仏習合し別当寺院として大善院が祭祀を司り、「法霊社」や「法霊大明神」、「法霊大権現」等と称してきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令で仏式が廃されおがみ神社と社号を改称しています。

おがみ神社例祭では「法霊神楽」と呼ばれる、権現舞、山の神、翁、三番叟、剣舞、八幡舞、番樂、鶏舞、注連切舞が奉納され、古式を伝える神事として貴重な事から昭和61年(1986)に青森県指定無形民俗文化財に指定されています。八戸市の最大級の御祭である八戸三社大祭は、江戸時代中期の享保5年(1720)に法霊社(おがみ神社)で豊作祈願を行い、見事念願成就した事を神意に感謝し、当社の御神輿が(長者山新羅神社)に渡る神事を4代藩主南部広信が認めた事が起源とされ、古式を伝える行事として貴重な事から、名称「八戸三社大祭の山車行事」として平成16年(2004)に国指定無形民俗文化財に指定されています。

社宝である万年暦は貴重な事から昭和48年(1973)に八戸市指定有形文化財に指定されています。現在のおがみ神社社殿は文政7年(1824)に八戸藩8代藩主南部信真が再建したもので拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、正面1間向拝、外壁は真壁造り板張り。本殿は流造、銅板葺、外壁は真壁造り板張り。神楽殿は木造平屋建て、宝形造、桁行3間、張間2間、外壁は2方柱間建具嵌め込み。山号:法霊山。祭神:たかおかみ神、法霊大明神。

おがみ神社:社殿・境内写真

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おがみ神社参道石畳みから見た境内の奥に見える拝殿 おがみ神社拝殿とその前に安置されている石燈篭 おがみ神社本殿と透塀 おがみ神社神楽殿では神楽が奉納されます

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