八戸藩概要: 寛文4年(1664)、盛岡藩10万石が当時の藩主南部重直が継嗣を定めず死去した為、幕府は本藩8万石を重信(弟)に分知した八戸領2万石を南部直房に与え相続させました。八戸藩は幕府の命により立藩したこともあり記録上は独立した藩で初代藩主となった直房は南部藩の刺客とされる人物に暗殺されたと言われています(記録上は病死)。八戸藩は2万石でしたが立藩当時は無城主格で天保9年(1838)に城主格となり藩庁も改めて八戸城と称されるようになりました。幕末では盛岡藩に従い奥羽越列藩同盟に列しましたが、3代藩主以降は本藩との血脈がなく文化9年(1812)に江戸の上屋敷が火災で焼失した際も援助されないなど独立性が高く、最期の当主となった信順は島津家からの婿養子だったことから中立を保ち大きな懲罰がありませんでした。
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八戸藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 南部直房 | 1664〜1668 | 2万石 | |
2代 | 南部直政 | 1668〜1669 | 2万石 | |
3代 | 南部通信 | 1669〜1716 | 2万石 | |
4代 | 南部広信 | 1716〜1741 | 2万石 | |
5代 | 南部信興 | 1741〜1765 | 2万石 | |
6代 | 南部信依 | 1765〜1781 | 2万石 | |
7代 | 南部信房 | 1781〜1796 | 2万石 | |
8代 | 南部信真 | 1796〜1842 | 2万石 | |
9代 | 南部信順 | 1842〜1869 | 2万石 | |
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