南部通信:概要

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概要・歴史・観光・見所
南部通信(蕪島神社)

【 概 要 】−南部通信は寛文13年(1673)、盛岡藩3代藩主南部重信と浄生院(澤:栃内金右衛門の娘)との子供として生まれました。元禄2年(1699)、八戸藩2代藩主南部直政が死去すると末期養子として八戸南部家の家督を継ぎ、八戸藩3代藩主に就任しています。八戸藩(藩庁:八戸城)の成立した理由から盛岡藩とは対立関係があり直政も暗殺説がある程でしたが盛岡南部家の通信が入った事で一応関係が改善しています。

元禄16年(1703)、大飢饉が発生すると1万6千745人の餓死者を出した事から質素倹約を命じ、物価の統制や凶作対策などを講じています。宝永4年(1707)には湊村川口に十分一役所設置し、漁民からも漁獲高の十分一を税として徴収する制度を制定しています。享保元年(1716)死去、享年44歳、八戸南部家の菩提寺である南宗寺に葬られ墓碑が建立されています。家督は南部広信が継いでいます。

南部通信は社寺の保護を行い、宝永3年(1706)には蕪島鎮座している蕪島神社に子宝祈願を行い、見事念願成就した事から感謝の意から社殿を改築し、弁財天を勧請しています。通信は武術に長け、特に加賀美流馬術の継承者だった事から藩主自ら家臣に指導したとされます(8代藩主南部信直の時には八戸騎馬打毬が奨励され長者山新羅神社の例祭に奉納されます)。

蕪島神社:写真
南部通信と縁がある蕪島神社参道石段沿いに置かれている石燈篭群 南部通信と縁がある蕪島神社拝殿正面とその前の石造狛犬と提灯 南部通信と縁がある蕪島神社本殿と幣殿 南部通信と縁がある蕪島神社鎮座地である蕪島の大石には注連縄が〆られ神聖化しています
蕪島:写真
南部通信と縁がある蕪島 南部通信と縁がある蕪島 南部通信と縁がある蕪島 南部通信と縁がある蕪島
八戸城:写真
南部通信と縁がある八戸城:切岸? 南部通信と縁がある八戸城:南部直房公銅像 南部通信と縁がある八戸城:本丸・庭園 南部通信と縁がある八戸城:二ノ丸
南宗寺:写真
南部通信と縁がある南宗寺 南部通信と縁がある南宗寺 南部通信と縁がある南宗寺 南部通信と縁がある南宗寺
長者山新羅神社:写真
南部通信と縁がある新羅神社石畳みから見た石鳥居と社叢に囲われた境内 南部通信と縁がある新羅神社拝殿前にある松の老木と石燈篭 南部通信と縁がある新羅神社基壇の上に建立された拝殿と石段 南部通信と縁がある新羅神社本殿と透塀



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