南部直房:概要

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概要・歴史・観光・見所
南部直房(八戸城)

【 概 要 】−南部直房は寛永5年(1628)に盛岡藩初代藩主南部利直と仙壽院(中里嘉兵衛正吉の娘)との子供として生まれました。寛文4年(1664)に盛岡藩2代藩主南部重直が死去すると嫡子が居なかった為、3代藩主を巡り利直の5男である七戸重信(七戸隼人正:七戸城の城主)と7男である中里直好(中里数馬)が争いになりました。利直の庶長子である南部家直は慶長18年(1613)に死没、次男である南部政直は寛永元年(1624)に花巻城の城内で毒殺、3男は2代藩主南部重直、4男南部利康は南遠江守直義の名跡を継いだものの寛永8年(1631)に死没、6男山田利長は寛文2年(1662)に死没した事で、男子は七戸重信と中里直好の2人に絞られました。

本来ならば断絶してもおかしくない事例ですが、重直が生前に幕閣に対して相談していた事が幸いし堀田正俊を中心に話し合いが行われた結果、盛岡藩10万石の内、8万石で七戸重信を盛岡藩主とし、2万石で八戸藩を立藩し中里直好が初代藩主とする事に決定しました。これは、重信の方が年長者で母親も有力家臣だった花輪政朝の娘(慈徳院)、さらに有力一族である七戸氏の名跡を継いでいるのに対し、直好の母親は花輪家に比べると身分が低かった事が理由となっています。

直好は南部直房と改名し寛文5年(1665)に八戸藩の初代藩主に就任すると領地の経営に乗り出し、藩庁である八戸城を大改修し、藩都に相応しい城下町の町割りを行っています。八戸城の防衛の要衝である長者山には素佐嗚尊と虚空蔵菩薩を勧請し新羅神社を創建、寛文6年(1666)には父親の供養の為、東厳和尚を招いて南宗寺(八戸南部家の菩提寺)を創建しています。寛文8年(1668)死去、享年41歳、形式上は病死ですが、確執のあった南部重信(七戸重信)から刺客が放たれ暗殺された説が根強く云われています。2代藩主は南部直政が継いでます。

八戸城:写真
南部直房と縁がある八戸城:石碑 南部直房と縁がある八戸城:本丸 南部直房と縁がある八戸城:本丸 南部直房と縁がある八戸城:土塁?
長者山新羅神社:写真
南部直房と縁がある新羅神社石畳みから見た石鳥居と社叢に囲われた境内 南部直房と縁がある新羅神社拝殿前にある松の老木と石燈篭 南部直房と縁がある新羅神社基壇の上に建立された拝殿と石段 南部直房と縁がある新羅神社本殿と透塀
南宗寺:写真
南部直房と縁がある南宗寺 南部直房と縁がある南宗寺 南部直房と縁がある南宗寺 南部直房と縁がある南宗寺



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