丑寅櫓(弘前城)概要: 案内板によると「 城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られ、防弾・防火のために土蔵造りで、銅板葺(当初はとち葺)となっている。軒下や出格子の木部は素木のままで飾り気がないが、独特の美しさを見せる。櫓の方角を十二支で示したもので、丑寅は北東に当たる。」とあります。弘前城丑寅櫓は二之丸の北東隅に位置し弘前城の築城年と同時期である慶長15年(1610)に建てられたもので木造3階建、層塔型独立式三重櫓、3層3階、入母屋、銅板葺き、塗屋造、外壁は白漆喰仕上げ、1・2層は桁行4間、梁間4間、3層目は僅かに規模が小さく、外壁の堀側には鉄砲狭間が設けられています。屋根上部には鯱、2層目屋根に千鳥破風、小庇付木製の出格子など僅かに外見意匠にも工夫が見られます。弘前八幡宮の例祭の際には城内に入場した山車の様子を久祥院(弘前藩4代藩主津軽信政の生母、3代藩主津軽信義の側室、唐牛甚右衛門の娘、才色兼備だったとされ、名君とされた信政に大きな影響を与えた人物。)が二の丸丑寅櫓で食事をしながら見学した事が「弘前藩庁日記」に記載されています。弘前城丑寅櫓は江戸時代初期の城郭櫓建築の遺構として大変貴重な事から昭和12年(1937)7月29日に国指定重要文化財に指定されています。
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