二の丸(弘前城)概要: 弘前城本丸の東側と南側のL字型に位置し北東隅には丑寅櫓(国指定需要文化財)、南東隅には辰巳櫓(国指定需要文化財)、南西隅には未申櫓(国指定需要文化財)と合計3基の3層櫓が配置され南内門(国指定需要文化財)と東内門(国指定需要文化財)の枡形の櫓門が入口を固め堀の周りには土塁が築かれていました。本丸には下乗橋で結ばれ、本丸に入る藩士は馬から下りて登城しなければいけませんでした。弘前城の築城当初は2の丸は主に大身の家老屋敷が軒を連ねていましたが、城下町が整備されると次第に家老屋敷はそちらに移され、東側方向には宝蔵や馬場が設けられています。
時太鼓櫓: 時太鼓櫓は弘前城2の丸南東の辰巳櫓の近くに設置された施設の1つで、案内板によると「 城内で時間を知らせるために太鼓を打ち出した場所で、貞享3年(1686)に始められた。時太鼓は、まず数十回捨て打ちして明け6つ(午前6時の前後2時間)を打ち、他の時刻は3回捨て打ちしてから打つという。明治4年(1871)の廃藩置県後に三の丸にあった稽古館とともに、最初に解体された。」とあります。
下乗橋: 下乗橋は本丸南方と二の丸を結ぶ大手筋に位置し、案内板によると「 本丸と二の丸を結ぶ橋で、この橋の二の丸側に下馬札があり、藩士は馬から降りるように定められていた。築城当初、橋の両側は土留坂だったが、文化8年(1811)に石垣に直したものである。以前は擬宝珠が12支をかたどったものであった。」とあります。
|