辰巳櫓(弘前城)概要: 案内板によると「 城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵造りとなっている。1・2層は4間4方の同面積であるが、3層目を小さくし、屋根は入母屋にしている。この櫓で、藩主が三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列などをご覧になった。」とあります。弘前八幡宮は慶長2年(1612)に弘前城の鬼門鎮護の社として創建されたもので、例祭である山祭は天和2年(1682)に弘前藩4代藩主津軽信政が参勤交代で江戸から無事に弘前城に帰城した事を記念として始められたもので、往時は町内で出された山車が北門(亀甲門)から城内に入り、踊りながら練り歩いたとされ、信政は二の丸辰巳櫓、久祥院(信政の生母)は二の丸丑寅櫓で食事をしながら山車行列を見学した事が「弘前藩庁日記」に記載されています。弘前城辰巳櫓は慶長15年(1610)、二の丸の南東(辰巳)隅に建てられたもので3層3階、入母屋、銅板葺き、堀側には鉄砲狭間が設けられています。弘前城辰巳櫓は江戸時代初期の城郭櫓建築の遺構として大変貴重な事から棟札(修復 享保十九林鐘二旬七)と共に昭和12年(1937)7月29日に国指定重要文化財に指定されています。
|
|
|
|