白八幡宮(鰺ヶ沢町)概要: 白八幡宮は青森県西津軽郡鰺ヶ沢町本町に鎮座している神社です。白八幡宮の創建は大同2年(807)坂上田村麻呂が東夷東征の戦勝祈願として勧請したのが始まりと伝わる古社で境内には田村麻呂が腰掛けたとも阿倍比羅夫が腰掛けたとも言われる"比羅夫石"があり歴史の深さが感じられます(民俗学的に言えば陰陽石の女性側の方とされます)。
社号は田村麻呂が大刀と白旗(8棹)を寄進した事に因み白旗宮と呼ばれていたのに起因しています。歴代領主や為政者からも崇敬庇護され康元元年(1256)には最明寺時頼(北条時頼:鎌倉幕府8代執権)が当地を訪れた際、社殿を再建し、慶長8年(1603)には弘前藩(藩庁:弘前城)初代藩主津軽為信が白八幡宮を鯵ケ沢総鎮守と定め社殿を造営し歴代の祈願所としました。
その後も浪岡八幡宮・弘前八幡宮と共に津軽三八幡として歴代藩主が篤く庇護し寛永7年(1630)には2代藩主津軽信牧が太刀を寄進し、寛文6年(1666)には4代藩主津軽信政が社殿の造営を行っています。
又、海運業や漁業関係者から崇敬され、神社が高台に建立されていたことから文政4年(1822)までは境内の常夜塔が灯台的な役割を果たしていて弁天崎に常灯が移転した時の記念に白八幡宮常灯碑が建立されています。社殿を囲む玉垣は鰺ヶ沢湊を利用した人達や鰺ヶ沢の船問屋達が奉納したもので文化13年(1816)に長州赤間関石工有光重兵衛が制作した事が刻み込まれていて当時の鰺ヶ沢海運史の資料として貴重なものとされます。
白八幡宮奉納船絵馬群は北前船が盛んだった江戸時代後期(弘化3年:1846年)から明治時代中期(明治20年代)に航海の安全を祈願して奉納したもので中には藩御手船や洋式帆船を描いたものもあります。例祭である白八幡宮神輿渡御は4年に1度8月14日から16日に行われ、神社から御仮殿まで神輿渡御が練り歩き、最終日には神輿が海上を渡り白八幡宮へ戻る神事で、「津軽の京まつり」の別称があります。祭神:誉田別尊、白鳥大明神、素盞鳴命、事代主命、菅原道真命。
白八幡宮の文化財
・ 比羅夫石−伝:阿倍比羅夫が腰掛け石−鰺ヶ沢町指定有形文化財
・ 常灯碑−文政4年−常夜灯移設記念−鰺ヶ沢町指定有形文化財
・ 玉垣−文化13年−長州赤間関石工有光重兵衛作−鰺ヶ沢町指定有形文化財
・ 白八幡宮奉納船絵馬群−江戸後期〜明治中期−鰺ヶ沢町指定有形文化財
・ 白八幡宮神輿渡御−鰺ヶ沢町指定無形民俗文化財
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-鰺ヶ沢町教育委員会
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