日照田高倉神社(鰺ヶ沢町)概要: 日照田高倉神社の創建は大同2年(807)坂上田村麻呂が勧請したのが始まりと伝えられています。古くは神仏混合の形態で飛龍宮と称し十一面観世音菩薩を本尊とする津軽三十三観音霊場第八番札所(寛延年間:1748〜1751年までは第13番札所)として信仰を広く集め観音菩薩が若者に姿を変え農作業を手伝ったとの伝説も残っています。
周辺住民からの信仰が篤く万治2年(1659)には住民達の手によって三尺四面の社殿が再建され、天明5年(1785年)には江戸時代の紀行家菅江真澄も鯵ヶ沢を訪れ当社の事が文献で記載しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、前仏である明治6年像は松源寺に移され、本尊十一面観世音菩薩像は神官により隠され無事だったとされます。その後、社号を日照田高倉神社に改め明治6年(1873)に村社に列し、廃仏毀釈運動が収まると再び十一面観世音菩薩が当社に戻されています。
又、参道の左側にある"いちょう"は推定樹齢800年、樹高29.0m、幹周り8.1mの巨木で大きく成長した気根に触れると乳の出が良くなると信仰されてきました。日照田高倉神社の"いちょう"は昭和62年(1987)に鰺ヶ沢町指定天然記念物に指定されています。
津軽三十三観音霊場第八番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:沢山や 朝日かがやく 日照田を 照らさせ給う 観世音かな)。例祭:7月17日。祭神:高皇産霊命。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-鰺ヶ沢町教育委員会
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