鰺ヶ沢町: 高沢寺

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概要・歴史・観光・見所

高沢寺(鰺ヶ沢町)概要: 竜広山高沢寺は青森県西津軽郡鰺ヶ沢町七ツ石に境内を構えている曹洞宗の寺院です。高沢寺の創建は南北朝時代、道叟道愛により開かれたのが始まりとされます。

道叟道愛は出羽国山本郡(秋田県仙北郡)出身の曹洞宗の高僧で比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)や総持寺(当時は石川県輪島市:総持寺祖院)で修行を重ね「峨山二十五哲」に数えられました。

延文元年(1356)に永徳寺(岩手県金ケ崎町)を開山した後、東北地方の曹洞宗の中心的な寺院である正法寺(岩手県奥州市水沢区)に入り、晩年に高沢寺を開き康暦元年(1379)に当地で没したと記録されています。

当初は道叟道愛の遺骨や位牌を所有していたそうですが、高沢寺が荒廃すると永徳寺に遷されたようです。元和元年(1615)に全室応和尚により再興され、文化4年(1807)に発生した山崩れにより境内が崩壊した為、文化8年(1811)に米町から現在地に境内を遷し堂宇の再建が図られています。

本堂背後には「瀧廣園」と呼ばれる西浜地方屈指の規模と景観を誇る武学流の造りの池泉回遊式庭園があり中島には芭蕉句碑が建立されています。「高沢寺芭蕉塚」は天保3年(1832)に高沢寺17世斯文明和尚が建立したもので、貞享3年(1686)の芭蕉43歳の時、芭蕉庵で月見の会で詠まれた「名月や 池をめぐりて 夜もすがら はせを」の句が刻まれています。

斯文は高沢寺の住職であると共に当地を代表する俳人でもあり「高沢寺芭蕉塚」は当時の鰺ヶ沢に花開いた俳句文化の一端を示す貴重なものとして昭和58年(1983)に鰺ヶ沢町指定有形文化財に指定されています。

羽扇は新地町出身の俳人で主に安永年間(1772〜1780年)に活躍、安永8年(1779)に死去すると菩提は高沢寺の境内に葬られました。「塩越屋羽扇墓」には戒名「長安久栄信士」と辞世の句「本来に かへる姿や 冬木立 帋葉館 羽扇」が刻まれているもので昭和58年(1983)に鰺ヶ沢町指定有形文化財に指定されています。

現在の本堂は慶応3年(1867)に再建されたもので、入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、桁行12間、正面棟唐破風向拝付、屋根の垂木が縄で結ばれている事から「縄からがきの寺」の別称があります。津軽八十八ヶ所霊場75番札所(札所本尊:釈迦如来。御詠歌:うきなみの ちかひのふねに のりしみは すくひのつなも わがこころより)。山号:竜広山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-鰺ヶ沢町教育委員会

高沢寺:写真

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