奥州街道: 馬門宿

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概要・歴史・観光・見所
馬門宿(野辺地町)概要: 馬門宿は南部藩に属する戸数30程度の馬門宿比較的小さな宿場町でしたが、敵対していた弘前藩(黒石藩)と接していた為軍事的は重要な地点でした。南部藩では馬門番所(現在は番所風の公衆便所が設置され往時の雰囲気を出しています。)を設け人物改めや荷改めなどを厳重に行いました。藩境には南部藩、弘前藩(黒石藩)それぞれ2基づつの藩境塚(4ツの塚が残るのは極めて珍しく青森県指定史跡に指定されています。)を設け藩領を明確にしています。戊辰戦争(野辺地戦争・明治元年:1868年、奥羽越列藩同盟側の南部藩に対し、日和見だった弘前藩が態度を明確にする為、敗戦が濃厚になった戦局を見極め南部藩領に侵攻した。結果、この戦いでは南部藩が勝利し、弘前藩兵は自領に引き上げた。)の際には弘前藩(本城:弘前城)が馬門宿から南部領に侵攻、宿場内には火が放たれ大きな被害を受けています。

馬門宿:写真

馬門宿
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