奥州街道: 蓬田宿

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概要・歴史・観光・見所
蓬田宿概要: 中世は安藤氏(安東氏)の領域で嘉禎4年(暦仁元年:1238年)安東盛季の弟とされる潮潟通貞が蓬田城を築城し長く当地を支配しました。室町時代後期に安東氏が南部氏の侵攻により津軽から去ると、南部氏が支配し家臣である奥瀬氏が配され、その後、相馬則政が当地を支配しました。戦国時代末期になると大浦氏(後の津軽氏)が支配し、江戸時代もそのまま弘前藩(本城:弘前城)に組み込まれ、奥州街道が整備されると蓬田宿が設けられました。蓬田宿には本陣はなく正法院が松前藩主の休憩所として利用して本陣の役割を担っていました。正法院の創建は建長18年(1613)、聖岩雲祝和尚(弘前市:長勝寺14世)によって開かれたのが始まりとされ、中世は油川城主奥瀬氏の庇護となります。江戸時代に入ると歴代松前藩主の祈願寺となり、龍神を祀る竜王堂では海上安全の祈願が行われました。寺宝である観音菩薩座像は円空作と云われる貴重な仏像で青森県指定文化財に指定されています。蓬田宿は松前藩以外は参勤交代で利用されなかった事もあり大きな発展は見られず当時の戸数は70戸程で比較的小さな宿駅だったと思われます。付近には当時景勝地で廻船業の目印だったといわれる玉松台があり推定樹齢300年の玉松が残っています。

蓬田宿:写真

蓬田宿
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