青森県の円空仏の伝承・詳細
長福寺: 十一面観音菩薩立像はヒバ材、像高180cm(全国に残されている円空仏の中で第2位の高さ)、恐山菩提寺と田舎館弁天堂のものと類似点が多く、同時期、同作者のものと推定されています。元々は佐井村の鎮守である箭根森八幡宮の別当である岩清水家(清水寺)が管理していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により箭根森八幡宮から仏教色が一掃され長福寺に移されたとされています。佐井村では3体の仏像を彫刻したと伝えられています(その内の1体は恐山菩提寺に移されたとも)。
恐山菩提寺: 十一面観音像は長福寺に酷似、ヒバ材、像高167cm、観音菩薩半跏思惟像は、ヒバ材、像高56cm。円空は恐山菩提寺を訪れた際、慈覚大師円仁が彫刻したと伝わる千体地蔵尊像を補修したとされています。又、熊谷家に約1ヶ月の間円空が滞在し、観音像1体を譲り受け「万人堂」に安置された事が古文書に記載されたおり、万人堂が荒廃すると恐山菩提寺に移されたと推定されています。北海道の円空仏より洗練されている事から、北海道から下北半島に渡り彫刻されたと推定されています。
義経寺: 観音菩薩座像は檜材、総高52cm、像高37.5cm、蓮台高14.5cm、背面に「木造本何処青樹 成仏後経幾数年 唯今是仏心木心 化度衆生得化度 寛文七丁末仲夏中旬 朝游岳楽子 花押」の墨書がある事から寛文7年(1667)に製作された事が分かります。伝承によると円空が三厩宿に訪れた際、観音像の化身が出現し、源義経から蝦夷地に渡った由縁を告げられ、源義経縁の観音像を胎内仏とする観音像を彫刻し観音堂(後の義経寺)を創建したと伝えられています。
元光寺: 梵珠山山頂の釈迦堂から移されたと伝えられています。
延寿院: 寛文2年(1662)、地元漁師の網に偶然引っかかった事から「海上漂流黒本尊」とも呼ばれています。円空が蝦夷地(北海道)で彫刻したものが日本海の海流に乗ってもたらされたとも考えられています。又、鰺ヶ沢町は大間越街道(西浜街道)の宿場町である事から久保田藩(秋田県)への経路でもあり、往復のどちらかに円空が通ったとも考えられます。
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