青森県:円空

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円空

円空・概要: 江戸時代前期の木食上人です。木食とは火食・肉食を避け、木の実・草のみを食べる修行を受けた僧侶の事で、円空は全国で自ら仏像を彫刻しながら全国を巡錫して生涯12万体の仏像が製作されたとも云われています(現在発見されているのは5千数百体)。寛文6年(1633)には青森県にも来訪していますが同年の1月16日に身分や出生が不明な遊行する僧との理由で弘前藩から弘前城の城下を追い出され、その後、青森を経て松前(蝦夷地)に渡った事が正式な記録書である「弘前藩庁日記」に記載されています。津軽半島奥州街道(松前道)沿いには油川宿の浄満寺、蓬田宿の正法院、平舘宿の福昌寺、三厩宿の義経寺にそれぞれ円空仏が残され、下北半島にも4体の円空仏が残されている事から、大きく青森から奥州街道で北上し三厩宿から蝦夷地(北海道)に渡り、帰りは、下北半島に渡り羽州街道で久保田藩(秋田県)に抜けた説と、青森から蝦夷地に直接渡航し、帰りは三厩宿に上陸して奥州街道と羽州街道を南下し久保田藩に至った説があります(下北半島の円空仏は後にもたらされた)。円空がどの様な経路で津軽に入ったのかは不明ですが、秋田県の能代市(八幡神社)や八峰町(白瀑神社)、青森県の鯵ヶ沢町(延寿院)にも円空がいた形跡がある事から大間越街道を北上し、帰りは羽州街道を利用したとも考えられます。羽州街道沿いには青森市浪岡町の元光寺や西光院、秋田県側には大館市の宗福寺、北秋田市鷹巣町糠沢などに点在しています。

青森県:円空仏一覧

 ・ 下北郡佐井村佐井字古佐井−長福寺:十一面観音菩薩立像(青森県重宝)
 ・ むつ市田名部町宇曽利山−恐山菩提寺:十一面観音菩薩立像・観音菩薩半跏思惟像
 ・ むつ市大湊上町−常楽寺:如来立像(青森県重宝)
 ・ 外ヶ浜町三厩家ノ上−義経寺:観音菩薩座像(青森県重宝)
 ・ 津軽郡外ヶ浜町平舘−福昌寺:観音菩薩座像(外ヶ浜町指定文化財)
 ・ 蓬田村阿弥陀川汐干−正法院:観音菩薩座像(青森県重宝)
 ・ 青森市油川大浜−浄満寺:観音菩薩座像(青森県重宝)
 ・ 北津軽郡中泊町小泊字小泊−個人:男神神(青森県重宝)
 ・ 青森市浪岡大釈迦字山田−元光寺:観音菩薩座像(青森県重宝)
 ・ 青森市浪岡北中野字天王−西光院:観音菩薩座像(青森県重宝)
 ・ 南津軽郡田舎館村大字田舎舘−胸肩神社(弁天堂):十一面観音菩薩立像(青森県重宝)
 ・ 平川市沖館宮崎−沖館神明宮:観音菩薩座像(青森県重宝)
 ・ 弘前市新寺町−西福寺:十一面観音菩薩立像(青森県重宝)・地蔵菩薩立像(青森県重宝)
 ・ 弘前市西茂森−普門院:十一面観音菩薩立像(弘前市指定有形文化財)
 ・ 西津軽郡鰺ヶ沢町富根町−延寿院:観音菩薩座像(青森県重宝)

青森県の円空仏の伝承・詳細

長福寺: 十一面観音菩薩立像はヒバ材、像高180cm(全国に残されている円空仏の中で第2位の高さ)、恐山菩提寺と田舎館弁天堂のものと類似点が多く、同時期、同作者のものと推定されています。元々は佐井村の鎮守である箭根森八幡宮の別当である岩清水家(清水寺)が管理していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により箭根森八幡宮から仏教色が一掃され長福寺に移されたとされています。佐井村では3体の仏像を彫刻したと伝えられています(その内の1体は恐山菩提寺に移されたとも)。

恐山菩提寺: 十一面観音像は長福寺に酷似、ヒバ材、像高167cm、観音菩薩半跏思惟像は、ヒバ材、像高56cm。円空は恐山菩提寺を訪れた際、慈覚大師円仁が彫刻したと伝わる千体地蔵尊像を補修したとされています。又、熊谷家に約1ヶ月の間円空が滞在し、観音像1体を譲り受け「万人堂」に安置された事が古文書に記載されたおり、万人堂が荒廃すると恐山菩提寺に移されたと推定されています。北海道の円空仏より洗練されている事から、北海道から下北半島に渡り彫刻されたと推定されています。

義経寺: 観音菩薩座像は檜材、総高52cm、像高37.5cm、蓮台高14.5cm、背面に「木造本何処青樹 成仏後経幾数年 唯今是仏心木心 化度衆生得化度 寛文七丁末仲夏中旬 朝游岳楽子 花押」の墨書がある事から寛文7年(1667)に製作された事が分かります。伝承によると円空が三厩宿に訪れた際、観音像の化身が出現し、源義経から蝦夷地に渡った由縁を告げられ、源義経縁の観音像を胎内仏とする観音像を彫刻し観音堂(後の義経寺)を創建したと伝えられています。

元光寺: 梵珠山山頂の釈迦堂から移されたと伝えられています。

延寿院: 寛文2年(1662)、地元漁師の網に偶然引っかかった事から「海上漂流黒本尊」とも呼ばれています。円空が蝦夷地(北海道)で彫刻したものが日本海の海流に乗ってもたらされたとも考えられています。又、鯵ヶ沢町は大間越街道(西浜街道)の宿場町である事から久保田藩(秋田県)への経路でもあり、往復のどちらかに円空が通ったとも考えられます。

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