小湊宿(平内町)概要: 平内町は黒石藩に属していた地域で小湊はその中心地として重要視されていた町です。黒石藩は安永4年(1775)に宿場町の中心地付近に平内代官所を設け、周辺には武家屋敷を配したことで御家中と呼ばれる小城下町を形成しました。
代官所のあった場所は蝦夷のチャシ(砦・館)があったと言われている所で、現在は代官所時代のものと思われる土塁や推定樹齢500年の欅(平内町指定天然記念物)と、推定樹齢400年の黒松(平内町指定天然記念物)が残されています。
平内郷の総鎮守である雷電宮の創建は延暦20年(801)別雷命の分霊を勧請したのが始まりとされ、天正年間(1573〜1592年)に地元の領主と南部勢の戦いで、領主が戦勝祈願すると、突如として白鳥の大群が現れ、それに恐れをなした南部兵が自領に引き上げたと伝えられています。以来、歴代領主から崇敬庇護され、江戸時代には黒石藩主からも信仰されました。
城下にある東福寺の創建は天正11年(1583)に開かれたのが始まりとされ横内城主堤禅正の墓碑が建立されています。又、宿場町はずれには天明の大飢饉(1782〜1785)の犠牲者を供養するため天明7年(1787)に東福寺11代住職によって建立された天明飢饉供養塔があります。
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