伝法寺宿(十和田市)概要: 伝法寺は中世、日の宮氏の居館である伝法寺館があった地域です。その後、伝法寺館には南部氏の家臣津村氏が入り日の宮氏はそれに従ったようです。戦国時代末期の天正19年(1591)には九戸の乱(日本で最後となった奥州仕置で南部家本家に反旗を翻した九戸政実が九戸城に立て籠もり、豊臣仕置軍と対峙した。仕置軍はおおいに苦戦し力攻めでは九戸城を落城出来ず、講和を条件に政実を城外に誘き出し忙殺、乱が鎮圧された。)により九戸側の七戸家国によって攻撃され当時の城主津村伝右衛門がこれを撃退したと伝えられています。その後、伝法寺館は廃城となり江戸時代には奥州街道の伝法寺宿が開かれます。伝法寺宿は比較的小さな宿場町で隣接する藤島宿と半月交代で継立業務を行っていたそうです。宿場の外れにある一里塚は慶安5年(1652)に設置されたもので、近年では珍しい街道の両側に1対として残されています。東側は高さ約2.5m、面積約75.4u、西側は高さ約3.0m、面積約78.5u、昭和36年(1961)に青森県指定史跡に指定されています。町並みは小規模な宿場町であった事から都市化出来ず雰囲気は失われています。
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