南部家御霊屋(瑞龍寺)概要: 南部直時が中興し菩提寺とした瑞龍寺 に隣接する高台に「南部家霊屋」と呼ばれている七戸南部氏の墓地があります。当時は御霊屋と納骨堂が建立されていたそうですが現在は墓碑のみになっています。七戸隼人正直時公(正保4年:1647年没・瑞龍寺中興開基・戒名:「瑞竜寺殿証山自公大居士」・浅水城の城主南部直勝の子供、七戸氏の名跡を継ぎ七戸城2千石が与えられた)、七戸彦六郎秀信君(寛文3年:1663年没・享年29歳・戒名「瑞雲院殿俊山宗雄大居士」・盛岡藩3代藩主南部重信の嫡男、重信が七戸城の城主時代、藩主に就任直前に死去した為に瑞龍寺に葬られたと思われます)、南部信民公(明治33年:1900年没・七戸藩藩主・城主格・1万1千石で七戸城に赴任する前に戊辰戦争に突入、本藩である盛岡藩と共に奥羽越列藩同盟に参加し新政府軍と交戦、新政府軍側となった弘前藩領に侵攻、敗戦後は強制隠居)、南部瑳久子(明治38年:1905年没・信民公の室)の墓があります。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-七戸町教育委員会
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