平舘台場(外ヶ浜町)概要: 平舘台場は青森県東津軽郡外ヶ浜町字平舘太郎右エ門沢に位置しています。平舘台場は嘉永2年(1849)、弘前藩(藩庁:弘前城)によって築造された西洋式砲台です。
江戸時代後期にあたる寛政年間(1789〜1801年)頃になると日本近海に度々外国船が出没するようになり、それを受けた幕府が文政8年(1825)の「外国船打払令」を発令し、海岸を持つ諸藩に対し台場や砲台の設置を促しました。
青森県内では天保5年(1834)に今別町袰月村に捕鯨船が着岸し余アメリカ人が上陸したのを皮切りに、天保14年(1843)には八戸沖に外国船が出没、弘化4年(1847)には当地である平舘に捕鯨船が着岸し8人のオランダ人が上陸、平舘に赴任していた弘前藩士が応対し求めに応じて米や食料、酒などを与えました。
さらに嘉永元年(1848)には三厩村でも上陸事件が起こり、弘前藩では早急に対策に追われ、嘉永2年(1849)に平舘台場と陣屋(御仮屋)の設置に至りました。
台場は視覚を無くす様に扇型の平面を持ち7つの砲台が設置出来る窪地が計画され平舘陣屋から藩兵が交代でその任を担いました。
又、左右2箇所設けられた出入口は城郭でみらる枡形で容易に進入するのを防ぎ、海上から台場の位置が悟られないように奥州街道(松前道)の松並木と同様の松を台場の土塁上に上カムフラージュしていました。
土塁は高さ約2.3m、幅約10m、内部は南北約80m、東西約11mで明治2年(1869)に解体されましたが現在も程原型を留めています。
嘉永5年(1853)には長州藩士である吉田松陰が長州藩を脱藩し宮部鼎蔵等と共に弘前藩の海防施設の見学の際、平舘台場にも訪れておりその時様子を「東北遊日記」に記載しています。
平舘台場跡は江戸時代末期に築造された西洋風台場の遺構として貴重な事から平成16年(2004)に青森県指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-外ヶ浜町教育委員会
・ 現地案内板-外ヶ浜町
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